大河ドラマ「どうする家康」に「茶屋四郎次郎」というインパクト抜群の名前の人物が登場します。
彼は一体何者なのでしょう?
目次
茶屋四郎次郎は何をした人?
茶屋四郎次郎は、京都の商人(呉服商)です。
代々当主がこの名前を世襲するため、同じ名前の人が何人もいます。(服部半蔵と同じ方式)
このうち【どうする家康】に登場する茶屋四郎次郎は初代の「清延(きよのぶ)」とう人です。
彼は徳川家康と同い年であったとされ、若い頃から家康に仕えていたと言われています。
家康のもとでは、衣服や道具の調達が主な仕事でしたが、豊臣秀吉の政権下では、家康の隠密のような働きもしたとされています。
茶屋四郎次郎の名前の由来と意味→何男なの?
少しややこしい名前なので整理します。
読み方は?
「ちゃや・しろうじろう」とそのまま読みます。
「茶屋」が屋号、「四郎次郎」が通称です。
名前の由来と意味
本来は「中島」という名字でしたが、室町幕府第13代将軍の足利義輝がお茶を飲みに立ち寄ったことにちなみ、「茶屋」という屋号を使い始めました。
(ということは、茶屋四郎次郎(初代)の本名は、「中島清延(なかじまきよのぶ)」となります。)
「四郎次郎」は「四郎(四男)」なのか「次郎(次男)」なのかよくわからない、ややこしい言い方ですが、これは「四郎の次男」という意味です。
つまり、お父さんが四男で、本人は次男ということです。
茶屋四郎次郎の本能寺・伊賀越での活躍
本能寺の変が起きた際、家康は堺(大阪)に滞在していました。
そこに本能寺での事件を最初に伝えたのが、この茶屋四郎次郎とされています。
同盟者の織田信長が討たれたことを知った家康は、追腹を切ろうとします。
家臣たちがこれを止め、本領三河へと向かう、通称「神君伊賀越」が行われます。
茶屋四郎次郎は、この伊賀越の支援を行い家康を助けたと伝わります。
この活躍により、茶屋四郎次郎は徳川家康の御用商人として取り立てられました。
徳川家康の死因「天ぷら」を食べさせたのは茶屋四郎次郎?
徳川家康の死因とされる説の1つに「鯛の天ぷら」にあたったというものがあります。
この鯛の天ぷらを徳川家康に食べさせたのが茶屋四郎次郎だとされています。
ただし、少し話を整理する必要があります。
まず、初代の茶屋四郎次郎は、関ヶ原の戦いの4年ほど前に亡くなりました。
ですので、「伊賀越を手伝った茶屋四郎次郎」と「天ぷらを食べさせた茶屋四郎次郎」は別人物です。
「天ぷら」の方は、3代目茶屋四郎次郎の「清次(きよつぐ)」です。
また、茶屋四郎次郎(清次)が家康に天ぷらを食べさせたわけでもありません。
駿河の国に鷹狩に行った際、家康が茶屋四郎次郎(清次)に上方で流行っている食べ物を尋ねました。
茶屋四郎次郎(清次)は「タイを油であげ、ニラをすりおろしたものをかけた料理」を勧めます。
家康はこれを聞いて(おそらく自分の料理人に)調理を命じます。
出来上がった料理を食べたところ、その夜になって腹痛を訴え、そのまま回復することなく数カ月後に亡くなりました。
たまに、「茶屋四郎次郎が家康に天ぷらを食べさせたから家康が亡くなった」と言われます。
それだけ聞くと暗殺のような印象を受けますが、実際は、「おすすめの料理を教えただけ」というのが真相のようです。
まとめ
- 茶屋四郎次郎(ちゃやしろうじろう)は京都の豪商で名前は世襲制
- 本来の名字は「中島」
- 将軍がお茶を飲みに立ち寄ったため「茶屋」を名乗った
- 四郎次郎は「四男(父)」の「次男(子)」という意味
- 初代は本能寺の変を家康に知らせ、伊賀越を支援
- 3代目は家康に天ぷらを勧める
あまり聞き馴染みがない人物かもしれませんが、本能寺の変を知らせるなど重要な役割を担っています。
どうする家康では、中村勘九郎さんが演じるので、どこかで笑わせてくれるかもしれません。