2024年のNHK大河ドラマ「光る君へ」は、紫式部が主人公のドラマです。
その紫式部が書いたとされる「源氏物語」の主人公・光源氏(ひかるげんじ)についての基本情報をまとめたいと思います。
目次
光源氏は実在の人物?
光源氏は物語上の架空の人物です。
実在しません。
なお、「光源氏」とは「光り輝くように美しい源氏」という意味で、本名ではなく通り名みたいなものです。
光源氏の本名は物語を通して出てきません。
光源氏は、桐壷帝(きりつぼてい)という架空の天皇の第2皇子として生まれます。
幼少の頃から容姿端麗で才能も豊かであったため、「光る君」と呼ばれます。
父親である桐壺帝は、「光る君」を皇太子にしようとも考えましたが、彼の母はそれほど身分が高くありませんし、第2皇子です。
また、「光る君」が帝位につくと国が乱れるという予言もあったため、桐壷帝は「光る君」を皇太子にすることを断念。
臣籍降下させて源氏の姓を与えます。
これで「光源氏」の誕生です。
その後、彼は、栄華と苦悩の人生を歩んでゆくことになります。
源氏物語の主人公のモデルは誰?
「光源氏」は実在の人物ではありませんが、モデルとなった人物がいるという説はいくつか存在します。
その中から、何人かモデル候補をご紹介します。
源融(みなもとのとおる)
最有力候補だと言われている人物です。
源融(みなもとのとおる)は、嵯峨天皇の第12皇子として生まれました。
そして臣籍降下して源氏となりました。
このあたり、光源氏とほぼ同じ境遇です。
彼は、政治事件や上官の死が重なり急速に出世し、左大臣(朝廷のほぼ最高権力者)にまで上り詰めます。
しかし、その後、陽成天皇が即位すると藤原基経(ふじわらもとつね)という人物が外戚として摂政に付きます。
これを不服に思った源融は自宅にひきこもり、一時隠居のような状態となります。
そして藤原基経の死後、再び太政官の首班として復帰。
栄華と苦悩の人生が、光源氏の人生とどことなく似ています。
藤原道長(ふじわらのみちなが)
源氏物語の作者、紫式部と親交が深かったとされる藤原道長も光源氏のモデルの1人だとされています。
彼は「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の かけたることも なしと思へば」の句でも有名な時の権力者です。
「光り輝くように美しい源氏」という光源氏のイメージとはかけ離れて、かなり豪胆な人物だったようです。
権力争いはバリバリやっていますし、それに勝ち上がっています。
道長が幼少の頃、父が「〇〇の子は素晴らしい。我が子たちは遠く及ばない。〇〇の影を踏むことも出来ない。」と嘆いたという逸話があります。
道長の兄弟たちはみんな言葉を失くします。
しかし、道長だけは「影など踏まない。あいつの顔を踏んでやる。」と言い放ちます。
やっぱり少々、光源氏っぽく無い気がしますが、紫式部と親交が深かったため、藤原道長がモデルであるとする説も有力です。
敦慶親王(あつよししんのう)
敦慶親王(あつよししんのう)は、非常にカッコよかったらしく「好色無双の美人」と呼ばれていたとされます。
また、琴や弓など文武に優れていたようです。
さらに通称が「玉光宮」と「光」の字が入っていることからも、光源氏のモデルではないかと言われています。
嵯峨天皇(さがてんのう)
源融の父にあたる嵯峨天皇も光源氏のモデル候補とされています。
聡明で、君主としての器量を持っていたと言われます。
また、空海・最澄といった当時の高名な僧とも親交があったようです。
空海には東寺というお寺を下賜し、最澄が開いた比叡山延暦寺に大乗戒壇(※僧侶になるための儀式をする場所)の設立を許可しています。
聡明な文化人ということで、光源氏のモデルの1人となっているようです。
源光(みなもとのひかる)
仁明天皇の第3皇子で、臣籍降下して源氏を名乗ることになります。
このあたりの身の上が光源氏とほぼ同じなのに加え、名前も「光」です。
権力争いにも参加しており、学問の神様として太宰府天満宮で祀られている「菅原道真」を失脚させた張本人の1人ともされています。
彼の最期はいわくつきで、鷹狩にでかけた際、泥沼に落ちて溺死しています。
人々は藤原道真の怨霊だと噂しました。
ちなみに全然関係ありませんが、浄土宗の開祖・法然は、この源光の子孫です。
光源氏の正妻は誰?
光源氏の正妻は2人(もしくは3人)とされています。
葵の上(あおいのうえ)
葵の上という左大臣の娘が最初の正妻です。
光源氏より4つ年上でした。
夫婦仲は冷えていたようで、しばらくよそよそしい状態が続きます。
10年後に葵の上は懐妊しますが、物の怪に苦しめられるようになります。
このあたりでようやく2人は心をかよわせるようになりますが、葵の上は子を産んですぐに他界。
光源氏はそれまで葵の上に冷たく接したことを後悔します。
女三宮(おんなさんのみや)
葵の上の死後、光源氏は女三宮(おんなさんのみや)という女性と結婚します。
女三宮は、光源氏の異母兄・朱雀帝の第3皇女です。
ということは、光源氏にとっては姪?
当時はセーフだったのでしょう。
2人は結婚したものの、光源氏は過保護に育てられてあまりに幼い女三宮をほったらかしにします。
すると、女三宮は、彼女に好意を寄せていた柏木という人物と密通し、子をもうけます。
この子が光源氏が亡くなった後の源氏物語の主人公・薫(かおる)です。
(※源氏物語は光源氏が亡くなったあともつづきます。)
女三宮が他人の子を妊娠した事に気づいた光源氏は、彼女を皮肉るようになります。
耐えきらなくなった女三宮は出家してしまいました。
紫の上(むらさきのうえ)
紫の上(むらさきのうえ)は、光源氏の妻ではありますが、正式な結婚手続きを踏んでいないため、正妻ではないとも言われます。
ですが、源氏物語において彼女は光源氏に次ぐ重要人物です。
「源氏物語」で「光源氏が幼い娘を理想の女性に育てようとしたというエピソードがある」という話を聞いたことはありませんか?
その娘が紫の上です。
簡単に説明すると、光源氏は幼い頃に母を亡くし、その母に似た「藤壺」という女性に恋をします。
藤壺と光源氏は関係をもちますが、すぐに離れ離れに。
その後、偶然にも藤壺の姪である紫の上を見かけて一目惚れ。
親から奪い取るように紫の上を引き取り、理想の女性として育て、後に2人は夫婦となりました。
まとめ
光源氏は架空の人物です。
パーフェクト超人のような能力を持ちながら、現在からみたら結構アウトなことをたくさんやっています。
この記事内でもちょくちょく出てきましたが、結構女性からは嫌がられるようなことをやっています。
現代日本で光源氏と同じことをやったとしたら、確実に炎上、毎日ニュースを賑わせることでしょう。
機会があれば、そのあたりのエピソードをまとめた記事も作りたいと思います。
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