大河ドラマどうする家康で、「わ~ぼ~く」のセリフで話題になった浜野謙太さんが演じる織田信雄(常真)。
彼のその後と最期について簡単にまとめます。
織田信雄(常真)の最期は?
織田信雄(常真)は、最後は京都で亡くなります。
織田信雄(常真)が亡くなったのは、1630年の4月。
ですので、大阪夏の陣の15年後です。
享年73。
死因はハッキリしませんが、おそらくは病死か老衰だと思われます。
事件に巻き込まれて亡くなったわけではないため、少なくとも討ち死にや暗殺の類ではなかったようです。
どうする家康では、戦が起こる寸前の大阪城にいたので、織田信雄(常真)の安否が気になった方も多いのではないでしょうか?
彼は大阪冬の陣が始まる直前、船の底に身を隠して淀川から京都へ無事逃げ出しています。
織田信雄(常真)のその後
大阪城から抜け出した織田信雄(常真)は、豊臣方が戦の準備をしていることを家康に伝えます。
豊臣方は、織田信雄(常真)を片桐且元の代わりとして重要な役割に着いてもらいたかったようですが、そもそも織田信雄(常真)は、これ以前から家康と内通していました。
その後、織田信雄(常真)は家康から知行を与えられ、織田家の御曹司として破格の扱いを受けたとされています。
奈良と関東にそれぞれ領地を与えられましたが、そこには赴任せず、京都で茶や鷹狩りに興じて日々を送ったと言われています。
織田信雄(常真)は、大阪城から抜け出した後、徳川の世のもとでは悠々自適な人生を送ったようです。