どうする家康ネタバレとあらすじ 第30話「新たなる覇者」

どうする家康ネタバレとあらすじ 第30話(清州会議~賤ヶ岳) 映画・ドラマ
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NHK大河ドラマ「どうする家康」の第30話「新たなる覇者」のネタバレとあらすじをご紹介します。

この記事には大河ドラマの内容のネタバレが含まれています。

事前に内容を知りたくない方は、適宜読み飛ばしてください。

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どうする家康ネタバレとあらすじ 第30話「新たなる覇者」

8月13日放送予定の「どうする家康」第30話「新たなる覇者」の内容です。

前回の第29話「伊賀を越えろ!」では、世にいう伊賀越えの様子が描かれました。

堺から三河へ向かう家康一行は、服部半蔵の提案を受け入れ、伊賀国を通ることにします。

左衛門尉と数正は、おとりとなるべく、伊賀よりも危険だと思われる道を行くことを選びました。

途中、家康たちは、小川城に立ち寄ると、城主の多羅尾光俊は、家康一行を手厚くもてなします。

あまりにも親切なため、家康が半蔵に「どう思うか」と聞いたところ、半蔵はこれが罠だと断言。

多羅尾の提案する信楽は危険だと訴えます。

これを信じた家康は伊賀を通って三河へ向かうことを決定。

そして翌朝、さっそく伊賀忍者に捕らわれました。

覚悟を決めた家康でしたが、伊賀で「軍師」として活躍していたというかつての家臣・本多正信と再会

正信の機転で家康は命拾いします。

その後、へとへとで合流場所につくと、左衛門尉も数正も無傷で待ちくたびれていました。

半蔵の進言が裏目に出て、家康たちがおとりになったような旅路でした。

第30話「新たなる覇者」はこの続きから始まります。

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中国大返し

本能寺の変からわずか11日後、見事主君の仇を討ったのは、羽柴秀吉でした。

秀吉は、中国地方の毛利輝元を攻めていたはずでしたが、信長の死を知るとすぐさま和睦。

3万もの軍勢を驚異的な速さで反転させ、摂津国と山城国の間あたり、山崎という場所で光秀を打ち破りました。

後にこの秀吉の動きは、中国大返しと呼ばれる事になります。

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清州会議

主君の仇・明智光秀を討ち取った秀吉は、急速にその地位を高めます。

山崎の合戦から約2週間後、尾張の清州城で信長の重臣たちの間で今後についての話し合いが行われました。

次の織田家当主は、織田信忠(信長の長男)の嫡男・三法師(さんぽうし・後の秀信)と決まりました。

【関連記事:三法師とは誰のこと?

しかし、三法師はこの時まだ2歳。

大きくなるまでは、織田家の重臣が政を支えると決められます。

ということは、信長の次男・織田信雄と三男・織田信孝は、政権から外されており、これが後々火種となっていきます。

また、柴田勝家が市を娶ることになったようです。

家康のもとには書状が届けられ、清州会議の内容が伝えられました。

家康:「わしはこれを承認する。依存ないな?」

平八郎・小平太・万千代らの若手は不服そうにしていました。

本能寺のあと、すぐに出陣していれば、光秀を討ったのは徳川だった…

そうすれば、今頃は秀吉たちのうえに立てていたかもしれない、と納得がいかないようでした。

家康:「…よう聞け。わしはいずれ必ず天下を取る。だが、急いてはいかん。」

今、自分たちがしないといけないのは、揺るぎない地力をつけることだと家康は平八郎らを説き伏せます。

信長の死により、旧武田領の甲斐・信濃・上野の三国が主のいない宙ぶらりんの状態になっていました。

ここを狙って、上野の真田氏が怪しい動きを見せ、越後の上杉氏、相模の北条氏らがすでに動き始めています。

この三国を、必ず他より先に手に入れなければならぬ―――

清州会議から1週間も経っていない7月上旬、徳川軍は浜松城を出陣しました。

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若御子対陣(わかみこたいじん)

翌月、甲斐国でついに徳川軍と北条軍がぶつかります。

北条は大軍勢ではあるものの、しばらく大きな戦をしてこなかったため、信長のもとで過酷な戦を続けてきた徳川軍の相手ではありませんでした。

北条から和睦の申し出がなされます。

上野国をもらえれば、甲斐国・信濃国からは手を引く」という内容です。

悪くはありませんが、これを飲めば、この直前に徳川に臣従してきた、真田の領地を取り上げることになってしまいます。

家康:「…やむをえんかもしれんな。恨まれるのも、わしの役目じゃ。」

―――この判断が後々大きな厄災となって降り掛かってくることになります。

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北条はもう一つ、「家康の娘を北条氏直の正室に欲しい」という条件を出していました。

こうして、お葉が産んだ家康の次女・おふうが和睦の証として氏直に嫁いでいきました。

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賤ヶ岳の戦い

その年の暮れ、「秀吉と勝家が戦を始めた」との報告が家康の耳に入ります。

織田家を政権から外そうとする秀吉に対し、柴田勝家が三法師と三男・信孝を担いで天下を治めようとしたことがきっかけでした。

これに対して秀吉は、次男・信雄を担いで戦を仕掛けます。

柴田勝家と羽柴秀吉の天下争いに織田家が利用されたとも言える戦でした。

秀吉は、まず信孝を降伏させ、岐阜城にいた三法師を奪還します。

そして、その後の賤ヶ岳の戦いで、秀吉の勝利が決定的となります。

追い詰められた柴田勝家は、越前の北ノ庄城(きたのしょうじょう)に撤退します。

それからほどなくして、この城は秀吉の大軍勢に囲まれました。

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家康の判断

家康の家臣一同からは、勝家を助けるべきという意見が大半でした。

正信:「やめといたほうがいいでしょうなあ」

いつの間にかその場にいた本多正信が、口をはさみます。

今や織田の重臣のほとんどが秀吉についており、それこそがあの男の才覚だと話します。

正信:「秀吉は、民百姓の人気がすさまじい。あれは、人の心をつかむ天才よ。敵に回すのはうまくねえ。」

これはあくまで織田家中の争い事。

正信は、決着が着くのを見守るのが上策だと進言します。

数正、左衛門尉も同意見でした。

勝家から届いた書状には、「市は家康の助けを信じて待っている」と書かれてありました。

家康「…様子を見る」

苦悩した家康は己を罵りながら、苦渋の決断を下します。

それからまもなくして、北ノ庄城は落城。

柴田勝家は自害。

市は3人の娘を秀吉の手に委ねて、夫とともに城で自害しました。

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第31話に続きます。

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