NHK大河ドラマ「どうする家康」の第17話「三方ヶ原合戦」のネタバレとあらすじをご紹介します。
この記事には大河ドラマの内容のネタバレが含まれています。
事前に内容を知りたくない方は、適宜読み飛ばしてください。
どうする家康ネタバレとあらすじ 第17話「三方ヶ原合戦」
5月7日放送予定の「どうする家康」第17話「三方ヶ原合戦」の内容です。
前回の第16話「信玄を怒らせるな」では、武田信玄との駆け引きが描かれました。
不幸にも「最強」武田信玄と領地を接してしまった徳川。
じわじわと信玄の支配が近づきます。
これに家康は焦って、信玄のライバル・上杉謙信に協力を依頼する書状を出しました。
この書状が信玄の手に渡ってしまい、信玄に遠江侵攻の口実を与えてしまいます。
家康は、もはや戦は避けられないと、服部半蔵に人質・源三郎の救出を命じます。
ボロボロで帰ってきた源三郎は、信玄からの伝言を預かっていました。
「生き延びたければ、わが家臣となれ。」
信玄からの最後通牒を聞くと、家康は半ば諦めたように、家臣に対して「おのおので決めてよい」と降伏するかどうかの判断を任せます。
家臣団は、「情けない」と散々言いたい放題言いました。
しかし、本心では皆、武田信玄と戦う覚悟を決めていました。
夏目広次:「殿には、この家臣一同がおります。」
第17話「三方ヶ原合戦」はこの続きから始まります。
「風林火山」
元亀元年の晩秋、ついに武田との戦が始まりました。
家康:「この地を守りぬき、武田信玄に勝つ!」
…家康の意気込みをあざ笑うかのように、甲府を出陣した武田軍は、北近江に侵入。
天竜川に沿って南下しながら「3日に一つ」の速さで徳川方の城を落として行きます。
「疾きこと風の如く、侵掠すること火の如く」
武田軍旗に記された「風林火山」そのものです。
さらに「駿河方面から高天神城(たかてんじんじょう)に向かう大軍あり」との一報が入りました。
これが武田本軍に違いありません。
とはいえ小ぶりながらも高天神城は堅固な山城です。
そうやすやすとは落ちぬだろう、と家康は読んでいました。
…が、その読みは見事に覆されます。
生涯一の大勝負
信玄はその後も次々と城を落とし、浜松町から目と鼻の先の二俣城(ふたまたじょう)にまで迫りました。
城という城を残らず潰して後詰を断ち、奪った城を手駒にして兵を増やす…
見事なまでに「武田信玄」の戦でした。
頼みの綱の信長は、「浅井・朝倉との戦いの最中で援軍は出せぬ」と言います。
しかし、家康も「はい分かりました」では済ませられません。
なかば強引に信長を引っ張り出して、交渉の場を作ります。
家康:「徳川と織田は、一蓮托生であることをどうか…どうかお忘れなきよう!」
顔いっぱいに悲壮感を漂わせる家康に、信長は援軍を約束して「生涯一の大勝負を楽しめ!」と言い放ちます。
信長:「信玄を食い止めろ!オレが必ず行く!」
木彫りのウサギ
瀬名は草花が生い茂る築山で水やりをしていました。
家康:「一目会っておきたくてな」
家康の顔を見て、瀬名は嬉しそうに微笑みますが、武田との大戦には心を痛めています。
息子の松平信康も、三河勢を率いて始めて出陣することになるでしょう。
瀬名:「どうして戦はなくならないのでしょう?」
領地が大きくなったぶん、敵が増えて苦しみも大きくなる…
その瀬名の言葉を家康は否定できませんでした。
家康:「しかたなかろう…弱さは害悪だそうだ」
昔のように、木片を削って作ったうさぎを瀬名に渡します。
家康:「それはわしの弱い心じゃ。ここへ置いて行く。」
「そなたは何があっても強く生きよ」そう言うと、家康は募る思いを断ち切って築山を後にしました。
必殺の策
家康の伯父の水野信元、織田家宿老の佐久間信盛(さくまのぶもり)率いる3000の織田軍が浜松城に到着しました。
広間に集まった一同に向かい家康が口火を切ります。
家康:「これより、改めて我らの策を伝える!」
信長が浅井・朝倉軍を倒して駆けつけるまで籠城し、織田・徳川・松平の連合軍で城攻めに疲れたはずの武田軍に一斉に襲いかかる…
策は桶狭間のときと同様、信玄に食いつかせるエサは浜松城と家康自身というわけです。
家康:「ひと月耐え忍び、一撃必殺のもとに信玄の首を取る!天と地をひっくり返すんじゃ!」
三方ヶ原へ
元亀3年12月22日。
3万の武田軍が浜松の目の前を流れる天竜川を渡ったとの報告が入ります。
しばらくして、浜松城の北の方角に大軍が現れました。
山県昌景(やまがたまさかげ)率いる武田家最強軍団「赤備え」も見えます。
その壮観な光景に、家康たちはただ息を呑むばかりでした。
家康:「…?…待て…どういうことじゃ?」
なにやら様子がおかしいようです。
こちらに来ると思ってばかりいた武田軍が、街道を西に向かって進軍していきます。
浜松を通り過ぎていく動きでした。
このまま武田軍を素通りさせてしまったら、もはや遠江の民は誰も徳川についてこなくなるでしょう。
打って出るしかない…しかし、打って出れば確実に負ける…
動揺した徳川勢からは、意見が乱れ飛び、挙句の果てに揉み合いになりました。
左衛門尉が止めに入り、石川数正は「殿のお考えを邪魔するな!」と諌めます。
一同の視線が家康に集まります。
皆から少し離れ、いつもの癖で指をくわえて懸命に考えています。
「殿、お指図を!」「いかが致す!?殿!」
「どうする家康」と家臣達が家康の答えを待っています。
夏目:「我らが信玄に勝っている点があるとすれば一つ、この地についてじゃ」
夏目が急いで地図を広げると、一同がそれを取り囲みます。
武田軍は三方ヶ原(みかたがはら)の台地に向かっています。
その先にあるのは、身動きの取れない細い崖道。
そこを後ろからつけば、敵の兵力を大いに削ぐことができます。
家康:「直ちに信玄を追い、後ろから追い落す!出陣じゃ!」
「家康討ち死に」の報告
戦の勝ち負けは兵の数ではなく天が決める…
闘志満々で鼻息荒く坂道を駆け上がった徳川軍は、凍りついたように急停止しました。
眼の前の三方ヶ原いっぱいに、武田軍が見事な魚鱗の陣を敷いて待ち構えていました。
本陣に鎮座する信玄が、家康の方を見て泰然と笑みをこぼします。
敵の大将は人一倍臆病だが、己の弱さをよく知っている…賢いけれど、しょせん経験の浅い若造だ…
信玄:「わっぱよ、戦は勝ってから始めるものじゃ」
まず勝てる状況を作ってから、実際の戦いを始める。
信玄にとってこの戦は、「孫氏の兵法」を息子の武田勝頼に学ばせる良い機会でもありました。
夕刻に始まった戦は、日没には早くも勝敗を決します。
徳川兵が死屍累々となって三方ヶ原の大地を覆いつくしています。
その夜、「家康討ち死の報」が岡崎城と岐阜城に伝えられました。
第18話に続きます。