大河ドラマ「どうする家康」では、織田信長の妹・お市の方(演:北川景子さん)は家康と幼馴染であり、初恋の相手として描かれています。
このあたりの関係は、実際の所どうだったのでしょう?
徳川家康とお市の方との関係は?
恐らくですが、実際はあまり関わりはなかったものと思われます。
少なくとも、2人が直接会って話したとか、結婚の話が浮上したなどの記録はありません。
「どうする家康」では、家康が幼少の頃、織田家の人質として信長たちと一緒に過ごすシーンがありました。
そしてその時期に、お市の方は家康に出会い、川で溺れていたところを助けてもらって、お市の方が恋に落ちています。
しかし、史実(通説)に当てはめるとこのシーンは少し不自然です。
というのも、家康が織田の人質だったのは1547年からの約2年間。
家康が6歳~8歳の頃の話です。
一方、通説では、お市の方が生まれたのは1547年。
家康が織田家に人質にいたころ、お市の方はまだ赤ちゃんです。
さらに言えば、この人質期間に家康が織田信長と出会ったとする史料もありません。
多くの物語では当然のように幼少期の信長と家康が出会うシーンがありますが、これ自体が本当のことなのかどうかすら不明です。
ただ、2年も人質として織田の領土で暮らしていたのですから、家康と信長が会ったことがある可能性もゼロとは言えません。
それでも、「家康が人質時代にお市の方と出会って仲良くなった」ということはほぼないでしょう。
徳川家康とお市の方は親戚?
これは、幼少期や青年期の話ではありません。
徳川家康の子、徳川秀忠(江戸幕府の第2代将軍)とお市の方の娘、江(崇源院)は後に夫婦となります。
これで「家康にとっては義理の娘がお市の方の子、お市の方にとっては義理の息子が家康の子」となり、2人は親戚関係になります。
しかし、秀忠と江が結婚したのは1595年のこと。
お市の方は1583年に亡くなっているので、家康とお市の方は形式上は親戚だったとはいえ、実際に親戚として顔を合わせることはありませんでした。
なお、余談ですが、徳川秀忠と江の間には多くの子供が生まれ、その血筋は皇室にも繋がっています。
今上天皇陛下も、その子孫にあたられます。
「徳川家康は織田信長の義理の弟」とする史料
イエズス会の宣教師、ルイス・フロイスが書いたとされる「日本史」にそのような記述があります。
彼によれば、「家康が信長の姉妹を娶った」とされています。
そして家康のことを一貫して「信長の義弟」としています。
お市の方は信長の妹なので、家康とお市の方が恋仲になる物語は、この史料を参考にしているのかもしれません。
ただ、現在のところ、この女性の存在を裏付けるような史料は見つかっていません。
まとめ
徳川家康とお市の方の間には、交流があったのかどうかすら不明です。
少なくとも家康が人質だった時代に会って仲良くなったということはありません。
家康が織田家の人質だったころ、お市の方は0~2歳でした。
形式的な関係という点で言えば、2人の子供同士が結婚しているので、家康とお市の方は、親戚同士ということになります。
ただし、子供同士が結婚した頃、すでにお市の方は亡くなっています。
親戚としての挨拶で顔をあわせたこともないでしょう。
大河ドラマではそれぞれ初恋の相手として描かれている家康とお市の方ですが、実際にはほとんど顔をあわせたことすらなかったのかもしれません。