NHK大河ドラマ「どうする家康」の第43話「関ヶ原の戦い」のネタバレとあらすじをご紹介します。
この記事には大河ドラマの内容のネタバレが含まれています。
事前に内容を知りたくない方は、適宜読み飛ばしてください。
どうする家康ネタバレとあらすじ 第43話「関ヶ原の戦い」
11月12日放送予定の「どうする家康」第43話「関ヶ原の戦い」の内容です。
前回の第42話「天下分け目」では、関ケ原の戦いの前哨戦の様子が描かれました。
三成挙兵の報に続いて次々と事態の深刻さを告げる知らせが入ってきます。
西国のほとんどすべての大名が三成側につくかもしれないという状況でした。
徳川勢は意気消沈しますが、逆にこれに勝てば完全に天下を手にすることが出来ます。
家康は上杉攻めを中断し、三成との決戦を決意しました。
そして、各地の大名を調略しつつ、三成のいる大阪を目指します。
先鋒隊に平八郎らを派遣し、本軍を2つに分け、1つは秀忠に預け、1つは家康が率いて西へ進軍を開始しました。
先鋒隊は怒涛の勢いで三成方の城を落とし、三成が守りを固める大垣城まであっという間に到達しました。
秀忠軍にも急ぎ美濃へ向うように指示を出し、家康軍も急いで平八郎ら先鋒隊のもとへ向かいます。
しかし、秀忠軍は信濃の真田の策略によって大幅に遅延。
家康が平八郎らのいる美濃・赤坂についたころには、まだ信濃にいるとのことでした。
このとき家康がいた陣所は、三成が本拠地とした大垣城からわずか1里(4km)のところでした。
家康は地図を眺め、三成軍とぶつかるであろう場所を予測します。
「関ケ原」
家康は地図のこの場所を指さしました。
家康:「治部よ...これは、天下分け目の大戦じゃ」
第43話「関ヶ原の戦い」はこの続きから始まります。
家康出陣
ついに決戦のときを迎えようとしていました。
家康:「ここからは、一手でも打ち間違えた方が負けるぞ」
家康は陣所でじっと地図をにらみつけます。
大垣城の石田三成らは、総大将の毛利輝元と豊臣秀頼を待ちながら籠城していました。
福島正則がすぐにでも城を攻めるべきと意気込みますが、大垣城は堅固な城です。
直政:「...殿、秀忠殿のご本軍が来るまで待つべきかと。」
これが初陣の秀忠は今頃夢中で兵を西へ走らせていることでしょう。
本多正信と小平太がついているので心配はありませんでしたが、戦には到底間に合わないものと思われます。
平八郎:「本軍がいまだ到着せぬは敵も同じ。万が一、毛利勢が秀頼様を頂いて三成勢に加われば、この戦、危うい」
平八郎の言う事はもっともで、家康としては、なんとしてでも敵の本軍が到着する前に決着をつけたいと思っていました。
家康:「兵が足らなければ、相手の兵を削ぐほか無い。」
調略を任せた黒田長政に尋ねると、「小早川秀秋と毛利輝元に調略を繰り返しているが、蓋を開けてみるまでどうなるか分からない」ということでした。
家康:「...秀忠は諦める。大垣城を放って行く。」
現時点で関ケ原の地にいるのは、大谷吉継のみでした。
このまま東軍が西へ進めば、三成たちは城を出て来ざるを得ません。
かつて「三方ヶ原の戦い」で武田信玄に痛い目に遭わされたのと同じ戦法です。
直政:「されど、後ろを三成に塞がれ、小早川や大阪からの軍勢が敵に加われば、われらは袋のねずみ...」
家康:「それが三成の狙いであろう。」
家康と三成、どちらが人の心をつかむか、勝負はそこで決まります。
ーーー突然激しい雨が降り出します。
40年ほど前、桶狭間の戦いで家康が敵に囲まれた大高城に兵糧を運び込んだ日と同じような空模様となりました。
あの日も一門の命運と皆の命をかけた日だったーーー
家康:「...出るぞ」
「関ヶ原の戦い」開始
その夜、徳川の軍勢がゆっくりと西に動き始めます。
すると大垣城に籠もっていた三成の軍勢が、素早く城を出て西に向かいました。
徳川方の作戦を読み、先回りして関ケ原で迎え撃つつもりのようでした。
夜が明けると雨は上がり、山々に囲まれた平原は深い霧に包まれていました。
1600年9月15日。
日の本のほぼ真ん中に位置する関ケ原の地に、両陣営あわせて15万の兵が集結しました。
家康の東軍は、関ケ原の東にある小さな丘、桃配山に陣を置きます。
徳川四天王の本多忠勝(平八郎)と井伊直政を中心に、歴戦の猛者たちが敵を血祭りに上げんといきりたっています。
対する三成の西軍は、関ケ原の北西にある笹尾山に布陣します。
三成の右腕である島左近(しまさこん)、薩摩の島津義弘(しまづよしひろ)らが周囲に着陣します。
その他の諸将も次々と持ち場に着きます。
よくよく見ると、三成勢は見事なまでに徳川勢を取り囲む形で布陣していました。
このまま戦に突入すれば、東軍の敗色は濃厚でした。
しかし、不思議と家康の気分は悪くありません。
平八郎や直政も、この戦が楽しみで仕方がない様子でした。
家康:「わしは感じるぞ!先に逝った者たち...いまは遠くにいる者たち...その心が皆、ここに集まっていると。」
皆とともにいる。
そんな家康の思いが天に届いたかのように、霧が晴れてきました。
平八郎:「ぼちぼち行くか、直政。福島殿が先陣を切るといきまいておるぞ!」
直政:「先陣は徳川でなければならぬ!この井伊直政におまかせを!」
三河衆でない直政が家康を信じてここまでついてきてくれた...その思いに家康の胸は熱くなりました。
家康:「では直政。先陣を任せる。思う存分、暴れて参れ!」
決断の時
各地で激しい戦闘が始まります。
戦いは地の利を生かした西軍優位で進んでいました。
しかし、決定打となりうる小早川秀秋の軍は、まだ動く気配がありません。
どちらに転ぶか、慎重に機を伺っているようでした。
このように様子見をしている武将は、小早川だけではありませんでした。
冷静にこの状況を見ていた家康は、決断します。
家康:「...前へ出る。」
三成は豊臣秀頼・毛利輝元の本軍を今か今かと待ちわびて焦っているに違いないと読んだのです。
家康:「敵に時を与えてはならぬ。今この時、一気に勝負をかける!行くぞ!」
家康の軍:「おお!」
家康軍が進軍すると、敵は総掛かりで攻めてきました。
まさか総大将の家康が戦場のど真ん中に出てくるとは、さすがの三成も思っていませんでした。
平八郎:「おかげで敵はひるみ、味方は士気が上がっております。」
家康は、松尾山を見上げました。
松尾山には小早川秀秋が陣を敷いています。
家康:「...決断するときぞ、小早川」
平八郎:「思い出しますな、姉川で信長に鉄砲を打ち込まれたのを」
浅井・朝倉との決戦を前に信長を裏切るかどうか迷っていた時のことです。
渡辺守綱:「やりますか?大筒なら届くかもしれん。ドーンと!」
家康:「逆なでするな。天に向かって空撃ちせい」
鉄砲隊が空に向かって一斉に空砲を放ちます。
すると、ついに決断した小早川の大軍勢が、一気に山を駆け下りて三成方の大谷吉継の陣へ攻めかかっていきました。
敗戦の将
戦場を茫然と見下ろす三成のもとに、次から次へと寝返りの報告が入ってきます。
さらに、西軍の主力の1つ、小西勢が総崩れとなり潰走しているという知らせが入りました。
伝令:「大谷刑部殿(大谷吉継)、奮戦の末、ご自害あそばされたるよし!」
大谷吉継は病身の身で指揮を取り、わずかな兵で2度も小早川の大軍を押し返したとのことです。
島左近:「...お逃げくだされ」
左近が三成に生きて再起を図るように進言します。
三成:「左近、そなたは、私には過ぎた家臣であった。礼を申す。」
左近:「こちらこそ、良い死に場所をお与えくださいました。」
左近が一礼し、家来を率いて出ていきます。
三成は戦場を見つめ、座して伏したあと、静かに立ち去りました。
大戦終結
平八郎は最後までかすり傷1つ負いませんでしたが、直政は島津勢を深追いし、腕に銃弾を浴びてしまいました。
直政:「殿...ついに天下を取りましたな。おいらのおかげだ。」
傷の手当をする家康に、直政が痛みをこらえてにやりと笑います。
ひとかどの武将になった今も、無鉄砲さは変わりません。
家康:「...ああ、そうじゃ」
これから先が楽しみだと直政は笑顔を作りました。
こうして、関ヶ原の戦いは死者8000人以上を出して終結しました。
三成との別れ
西軍についた各大名には、それぞれに処罰がされました。
戦場を離脱した三成は、近江国伊香郡古橋村(滋賀県)にて捕らえられます。
関ヶ原の戦いから8日後、家康と三成は対面しました。
家康:「...戦なき世で出会いたかった。」
やつれてはいましたが、三成は堂々としていて、敗者の惨めさはなく、むしろ誇り高くすらありました。
三成:「これは我が信念によってなしたること。その志、今もって微塵も揺らいでおらぬ。」
これより約10日後、石田三成は京の六条河原にて41年の生涯を閉じました。
第44話に続きます。