徳川家康の家臣には、猛将の「本多忠勝(ほんだただかつ)」、参謀の「本多正信(ほんだまさのぶ)」と2人の有名な本多さんがいます。
大河ドラマ「どうする家康」では、勇猛果敢な山田裕貴さんと、詐欺師といわれる松山ケンイチさんという風に、2人の本多さんはキャラクターが正反対です。
この2人はどういう関係で、実際の仲はどうだったのでしょうか?
本多正信と本多忠勝の関係は?
2人は遠い親戚です。
親子でも兄弟でもいとこでもありません。
同じ本多一族の遠い親戚です。
同じ苗字ではありますが、血縁関係としてはかなり遠いです。
一応、本多忠勝は宗家(本家)の流れ、本多正信が庶家の流れを汲むと伝わっています。
かなり昔の話なため定かではありませんが、本多正信・本多忠勝から数えて7~8代前のご先祖様から本多氏は2つに分かれたとされています。
2人は本多家が2つに分かれた後のそれぞれの系統の子孫ですので、同じ本多氏とはいえ、かなり遠い関係です。
本多正信と本多忠勝の仲は良かったのか?
どうやらとても仲が悪かったようです。
本多正信の側は、本多忠勝に対して悪口を言っていた形跡はとくにありません。
しかし、本多忠勝は本多正信に敵意むき出しで「腰抜け」と呼び、「同じ本多一族でもあいつとは全くの無関係」と遠慮なしに嫌っていました。
2人共同じ一族であり、同じ主君に重臣として仕えていますが、関係性は良くなかったようです。
機会があれば、注目して見てください。
「どうする家康」もそうですが、2人が活躍した数年前の大河ドラマ「真田丸」でも本多正信と本多忠勝が仲良く喋っているシーンがほぼありません。
2人の仲の悪さはドラマ制作陣にとって有名なのかもしれません。
本多正信と本多忠勝の共通の祖先は誰?
仲の悪い遠い親戚の2人ですが、その共通の祖先は誰なのでしょう?
本多氏はもともと藤原氏の一族から出たとされています。
本多氏の家伝によると、太政大臣「藤原兼通(ふじわらかねみち)」が本多氏の祖先だったようです。
その藤原氏の子孫の1人が、豊後国(大分県)の「本多」という領地を与えられたことで、本多氏が始まったと伝わります。
その13代目、本多助政の2人の子から、2つの系統に分かれたと言われています。
2つの系統に分かれて8代後くらいにそれぞれの系統から本多正信・本多忠勝が登場します。
と、本多氏の系譜を紹介しましたが、本多氏の出自は実際は不明確で、確かな史料があるわけではありません。
参考程度にお考えください。
まとめ
- 本多正信と本多忠勝は遠い親戚
- 2人はおそらく結構仲が悪かった
- 2人の共通の祖先は太政大臣・藤原兼通、しかし、本当かどうかは不明
大河ドラマでは、本多忠勝と本多正信が一緒に出るシーンすら少ない気がします。
三河一向一揆後、本多正信は一時離脱中です。
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