平知盛と平維盛の最期はどうなった?鎌倉殿の13人壇ノ浦合戦

藤原兼子 映画・ドラマ
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NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が源平合戦のクライマックスである「壇ノ浦の戦い」を迎えます。

「平氏が壇ノ浦で滅んだ」ということは有名な歴史であり、義務教育で習う内容なのでほとんどの方がご存知だと思いますが、平氏の武将のそれぞれの最期というのはあまり知られていないのではないでしょうか?

この記事では、大河ドラマで存在感を放つ「平知盛」「平維盛」に焦点を当ててみたいと思います。

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平知盛の最期

平知盛(たいらのとももり)は平清盛の息子(四男)です。

ドラマでは岩男海史さんが演じています。

一の谷の戦いの場面では、平氏の棟梁である兄の「平宗盛(演:小泉孝太郎さん)」に強く反発するような意見を述べており、豪胆な人物として描かれています。

鎌倉から源範頼(頼朝の弟、義経の兄)が総大将として平氏の討伐に派遣されると、平知盛は兵を率いてこれに対処します。

半年もの間、源氏軍の九州・四国への上陸を阻止する活躍を見せますが、その間に源義経が平氏の拠点であった屋島を急襲。

これにより一気に形成が傾き、平氏は最終的に彦島(山口県下関市)に逃れます。

この間に源範頼軍は九州を制圧。

行き場を失った平氏は壇ノ浦で最後の戦いに挑みます。

最初は有利でしたが潮の流れが変わると次第に旗色が悪くなり、追い詰められた平氏方は次々と入水自殺を試みます。

安徳天皇と二位尼(平清盛の妻)の入水を見届けた知盛は、平家長とともに海へ身を投げ亡くなります。

享年は34でした。

入水後に浮かび上がって晒し者になるのを避けるため、海に飛び込む際に、鎧を2枚重ね着したとも、碇(いかり)を担いだとも伝わっています。

歌舞伎などでの「碇知盛(いかりとももり)」という話は、このエピソードが基となっています。

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平維盛の最期

平維盛は平清盛の孫にあたります。

清盛の嫡男・重盛の嫡男であり、源頼朝討伐の総大将となったこともある人物です。

平家軍が「水鳥の音に驚いて敗走した」と伝わる「富士川の戦い」を率いていたのが維盛です。

見た目は美しく「光源氏の再来」と呼ばれるほどの美少年だったと言われています。

ドラマでは濱正悟さんが演じています。

「倶利伽羅峠の戦い」で木曽義仲に敗北し、平氏は都落ちすることになります。

この戦いの総大将も維盛でした。

その後、源義経との「一ノ谷の戦い」が起こりますが、この戦いの前後に維盛は陣中からいなくなります。

そして、最期については「諸説あり」となっています。

高野山に入って出家した後、壇ノ浦で平氏が滅びたことを知って入水自殺したとする説が一般的ですが、病気でなくなったとも言われており、詳細は不明です。

一ノ谷の戦い以降、維盛の動向は不明ですので、「大河ドラマでどうなるのか」は三谷幸喜さん次第と言えそうです。

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