鎌倉殿の13人ネタバレとあらすじ 第42話「夢のゆくえ」(渡宋計画)

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鎌倉殿の13人の第42話「夢のゆくえ」のあらすじです。

この記事の内容はネタバレを含みます。

事前に内容を知りたくない方は、適宜読み飛ばして下さい。

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鎌倉殿の13人 第42話のあらすじ

11月6日放送予定の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の第42話「夢のゆくえ」のあらすじです。

前回の41話「義盛、お前に罪はない」では、「和田合戦」が描かれました。

関連記事:和田合戦

ついに北条義時と和田義盛が激突。

鎌倉を舞台に大乱戦が繰り広げられます。

次第に有利になった幕府方(北条義時側)が最後の一手として、源実朝を和田義盛の説得に当たらせます。

実朝の言葉を聞いて警戒をといた和田義盛に対し、三浦義村の軍勢が襲いかかり和田義盛は討ち死に。

和田一族のほとんどが討ち取られ、和田合戦は終わりました。

戦後、実朝が鎌倉殿としての決意を固めたところに、なんとも不吉なタイミングで大きな地震が起こります。

42話はその続きから始まります。

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実朝の奮闘

和田合戦から1年後、実朝は後鳥羽上皇を手本とし、何事も人任せにせず自分で判断していこうとしていました。

実朝:「父上が作られたこの鎌倉を、源氏の手に取り戻す。

当然、すぐにすべてを1人で判断できるようにはならないので、北条義時、三浦義村、大江広元などの宿老に頼らざるをえない場面も多くありました。

それでも実朝は意気込んで政にあたり、義時の長男・泰時を側近として評議に参加させました。

実朝は善政を施そうと試行錯誤しますが、経験不足によりなかなかうまく行きません。

それを主君としての徳の低さだと考え、部屋に飾られた聖徳太子の肖像画の前に座り込みました。

この肖像画は後鳥羽上皇から贈られたものです。

実朝:「聖徳太子様は、尊いお生まれに満足されることなく功徳を積まれた。私の道しるべだ。

このころ、北条義時は「執権」を名乗りはじめます。

父・時政の独断政治の悪印象があり今まで避けていた肩書でしたが、強い権限をもって政を主導するために必要だと判断し、自らの肩書を「執権」としました。

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珍客来訪

それから約2年後、源仲章が京から客人を連れてきました。

仲章:「宋の国の匠、陳和卿(ちんなけい)殿。」

陳和卿は、奈良の東大寺大仏殿の再建をした人物です。

和卿は実朝をみると、感極まって泣き出しました。

和卿:「前世において、実朝様は宋の国、育王山(※いくおうざん:格式の高い寺がある山)の長老、陳和卿はその門弟でございました。」

一見突拍子もない発言ですが、

実朝:「この光景、以前、夢に見た!そなたは私の前に現れ、同じことを言った。

実朝は普段から夢を日記につけていました。

その日記の該当箇所を指し示します。

そして

実朝:「船にまつわる話がしたいはずだ。

と和卿が話したいことを先に言い当てます。

和卿:「大きな船を造りましょう。誰も見たことのない大きな船を。それで宋に渡り、交易を行うのです。」

仲章:「聖徳太子様もかつて隋(ずい)へ使者を送られました。」

その言葉に心を揺さぶられた実朝は、すぐに船造りを命じます。

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船造り開始

和卿の指揮で船造りが始まります。

普請の技術をもつ八田知家が世話役として和卿に協力することになりました。

しかし、船造りは御家人たちの負担が大きく、義時は渋い顔をしています。

泰時は陳和卿が来た当初から不審に感じていることがあり、義時、時房、三浦義村に対して思い切って話をしました。

泰時:「和卿は、鎌倉殿の夢を当て、信頼を得ました。しかしながら鎌倉殿の夢日記は、あの部屋に出入りする者ならばいつでも見られます。」

例えば、源仲章なら夢日記を見ることも容易です。

義時:「つまりは西のお方(※後鳥羽上皇)が糸を引いているということか。…この船は坂東のためにはならん。

義時は京からの干渉に嫌気がさしました。

実朝が船造りに取りかかったとの報告が京へもたらされ、後鳥羽上皇は満足げです。

後鳥羽上皇:「これで実朝の威光は弱まる。」

慈円:「北条の影は薄くなる。」

事は後鳥羽上皇の思惑のとおりに進んでいました。

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鎌倉のあり方

由比ヶ浜に巨大な船の骨組みが形を成してきます。

義時は危機感を強めていました。

源頼朝は、朝廷とは一線を画し、鎌倉を武家の都としたかったはずです。

それなのに実朝は後鳥羽上皇の思惑どおりに従っています。

義時は政子のもとを訪れ、今の実朝のやりかたは頼朝の意志に反していて、政は宿老たちが主体となって行うほうが鎌倉のためになると説きます。

義時:「鎌倉殿には表から退いていただきます。これ以上、西(※朝廷)を第一とすれば、いずれは坂東の御家人すべてを敵に回します。あのお方に頼家様のようにはなってほしくないのです。」

政子:「つまり、あなたの言うことを聞かなければ、いずれは実朝も頼家のようになると?」

一方、実朝は夢が現実味を帯びてきたことでワクワクしています。

実朝:「いずれ私はあの船に乗って、かの国へ渡ってみたいと思っている。」

実朝はかなたをみつめ、傍らにいた泰時と妻・千世とともに海を渡ろうと嬉しげに語りました。

そんな中、実朝のもとに義時、政子、時房、泰時、三善康信が集まります。

切り出したのは時房でした。

時房:「船の建造を中止して頂きたいのです。」

実朝:「人心をつかむには功徳を積むよりほかはない。私はあの船に乗って、いずれ育王山に…」

義時:「上皇様にそそのかされて造る船など必要ござらぬ!」

実朝はせめて政子に理解してもらいたいと思いました。

その政子は徳を高める大切さを認めたうえで諭します。

政子:「ゆっくりと時をかけて、立派な鎌倉殿になればよいのです。」

実朝は見捨てられたように感じました。

実朝:「もうよい、船は中止だ。」

泰時がとりなし、造船に尽力した御家人たちと実朝との絆を船に残そうと提案します。

泰時:「建造にあたった御家人たちの名を記すのです。」

また、三善康信が実朝を不憫に思ったのか、必死に政子に迫ります。

康信:「どうか、船の建造は続けさせてください!鎌倉殿の思いがこもっておるのです。尼御台!」

政子は結論を先延ばしにし、この場は解散となりました。

その後、政子は大江広元を呼んで相談します。

広元は、確かに頼朝の目指した鎌倉と、実朝の考え方は異なるかもしれないとし、義時の主張には一理あるとします。

しかし、時は流れ、世は変わりました。

今、頼朝が存命なら実朝になにを話すだろうか。

広元:「頼朝様が世を去られてどれだけの月日が流れようと、あなたがその妻だったことに変わりはない。あのお方の思いを引き継ぎ、この鎌倉を引っ張って行くのは、あなたなのです。」

政子は肝を据えました。

自分が決めるしかありません。

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船造り継続

結局、船の建造は続けられることになりました。

船板などに御家人の名を入れるという泰時の案も採用されています。

泰時が甲板を案内すると、実朝に笑みがこぼれました。

実朝:「しかし、どうやって海まで運ぶ?」

八田知家が図面を見せて説明します。

船の下に丸太を敷いて海へと引っ張っていくという計画でした。

実朝は進水の日が来るのが楽しみになりました。

…深夜、船の甲板に北条時房とトウが忍び込みます。

時房は船の設計図を見つめ、なにやら筆で書き込みをしました。

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船の完成

建造開始から約半年後、ついに船が完成しました。

陳和卿と八田知家が綱を引っ張り船を海に運ぶようにと下人たちに指示を出します。

実朝をはじめ、義時、政子などの要人が仮設された観覧席からその様子を見守ります。

そこへ突然、八田知家が走り込んできました。

知家:「引き始めたら、船が浜にめり込んじまった!」

船の周囲では下人たちが必死に綱を引いていますが、船は動きません。

和卿が設計図を確認し、愕然としました。

和卿:「値が違う!これでは船が重すぎる!」

大勢の下人と御家人たちが加わって綱を引きますが、それでも船は動きません。

観覧席にいた実朝らはその様子を呆然と見つめています。

義時:「重さの勘定を誤ったか。」

そうつぶやくと、時房とともにその場を去りました。

実衣、三浦義村ら他の要人たちも次々に観覧席から去っていきます。

実朝は膝をついて落胆しました。

政子が背後からそっと抱きしめます。

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鎌倉殿引退?

数日後、船の一件で落胆する実朝を政子が鼓舞します。

政子:「自分の政がしたければ、もっと力をつけなさい。」

そして、政子は「実朝が鎌倉の揺るぎない主となる手」を伝授します。

実朝はそれを知ると、最適の手だと意気高揚し、すぐに義時、時房、政子、実衣、泰時を集めました。

実朝:「家督を譲る。鎌倉殿を辞し、大御所となる。

家督は外から取った養子に継がせるつもりでした。

これに義時が待ったをかけます。

鎌倉殿は代々源氏から出ており、頼家の子・公暁が存命のため、跡を継がせるのならば公暁にするべきだと主張します。

実朝は仏門に入った公暁は視野にいれず、鎌倉殿が源氏の血筋に限られるとは文書に残っていないと義時の主張を退けます。

実朝:「朝廷に連なる、特に高貴なお血筋の方をもらい受ける。」

義時:「鎌倉殿とは武士の頂きに立つ者のことでございます!」

義時はこれほど大事なことを、実朝の独断で決めてしまうことに対して異議を申し立てました。

政子:「鎌倉殿の好きにさせてあげましょう。」

この政子の一言によって、義時は自分のあずかり知らないところで話が進められたことに気づきました。

実朝は、「源氏と北条の血を引く鎌倉殿」を実朝の代で終わらせようとしていました。

この提案に泰時も賛同。

義時1人が孤立します。

実朝のこの嘆願は、源仲章の仲立ちにより後鳥羽上皇に伝えられることになりました。


第43話につづきます。

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