大河ドラマ「光る君へ」で上地雄輔さん演じる藤原道綱にひどい仕打ちを受けて話題となった、まひろの友人「さわ」。
この「さわ」は、ドラマオリジナルの人物かに思われましたが、実在のモデルがいるようです。
さわは実在の人物?
まず、「さわ」という人物がいたという記録はありません。
この時代の女性の本名は記録に残っていないことがほとんどです。(紫式部の本名ですら不明です。)
「さわ」という名前自体はドラマオリジナルです。
さわのモデルは誰?
「さわ」のモデルは『紫式部集(※紫式部の和歌集)』に出てくる「筑紫へ行く人のむすめ(筑紫の君)」だと思われます。
「さわ」の人物紹介には以下のような説明があります。
(省略~)やがて父親の九州赴任についていくことになる。
「光る君へ」公式ホームページ
「筑紫の君」は、その呼び名のとおり父の任官により肥後国(熊本県)へ移住しました。
(※このころの日本では、「筑紫」は九州全体もしくは九州北部を指します。)
また、大河ドラマでは一切出てきませんでしたが、紫式部には姉がいました。
はっきりした時期はわかりませんが、紫式部の姉は父・為時が越前守に任官される以前に亡くなったと言われています。
同時期に「筑紫の君」も妹を亡くしており、互いに姉と妹(※筑紫の君が姉・紫式部が妹)として接するようになったようです。
「仲の良い」「九州へ移住した友人」という共通点から、この「筑紫の君」が「さわ」のモデルではないかと思われます。
さわはその後どうなるの?
「さわ」のモデルが「筑紫の君」であった場合、まひろに九州へ行く挨拶をしたところで大河ドラマから卒業することになる可能性が高いです。
「筑紫の君」は、父に伴って肥後国へ移住しましたが、その後、京へ帰ることなく肥後で亡くなったとされています。
なぜ亡くなったのかなど詳しいことは、史料に残っていないためわかりません。
まとめ
「さわ」のモデルはおそらく「筑紫へ行く人のむすめ」
「筑紫へ行く人のむすめ」は、紫式部とは姉妹のような仲の良さだった
「筑紫へ行く人のむすめ」は、肥後へ移住し、その地で亡くなった
以上、まひろの友人さわのモデルについての情報でした。
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