鎌倉殿の13人の第46話「将軍になった女」のあらすじです。
この記事の内容はネタバレを含みます。
事前に内容を知りたくない方は、適宜読み飛ばして下さい。
目次
鎌倉殿の13人 第46話「将軍になった女」のあらすじ
12月4日放送予定の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の第46話「将軍になった女」のあらすじです。
前回の45話「八幡宮の階段」では、「源実朝の暗殺事件」が描かれました。
右大臣任官の拝賀式が終わり、源実朝らは帰路につきます。
鶴岡八幡宮の大階段を下り始めると、公暁が叫びながら襲いかかってきました。
太刀持ちの源仲章を斬り捨て、実朝に定めます。
公暁の襲撃計画を知っていながら、北条義時・三浦義村はそれぞれの思惑があり、公暁を止めようとしません。
実朝は大した抵抗をすることなく、「天命」を受け入れて公暁に斬られます。
実朝は辞世の句を残しており、自らの死を予見していました。
公暁は、暗殺直後に声明文を読んで、この実朝殺害を正当化しようと試みますが失敗。
義時が公暁討伐を命じ、公暁は行方をくらまします。
京へ逃げようと考え、三浦義村に助力を頼みに来た公暁を三浦義村が不意討ちします。
三浦義村は公暁の襲撃計画に加担しており、そのことが露見してはならないと公暁を口封じのために殺しました。
一連の事件を受け、「実朝の次の将軍を頼仁親王(後鳥羽上皇の子)とする計画」が揺らぎます。
幕府と朝廷の駆け引きが始まる中、息子と孫を同時に失った北条政子は失意に暮れて伊豆へ帰郷しようとしていました。
これを北条義時が強く引き止めます。
義時は、「北条の鎌倉」を盤石にするため、政子には最後まで付き合ってもらうと、強い決意を表明しました。
46話はその続きから始まります。
源氏の嫡流
源実朝と公暁が亡くなった事により、源氏の嫡流の男子は1人になりました。
源頼朝の異母弟・阿野全成と実衣の子「阿野時元」です。
実衣は、時元を鎌倉殿にしたいと思い立ちます。
実衣は、鎌倉殿になるためには宣旨(※天皇の命令を伝える文書)が必要だということを知り、宣旨を得るためにはどうすればいいか、三浦義村に相談します。
義村は「通常であれば難しいが、早急に鎌倉殿をたてる必要がある今なら可能性がある」と実衣を期待させます。
義村:「次の鎌倉殿は時元殿に決まったと朝廷に申し上げるんだ。そうなれば、朝廷は宣旨を下さないわけにはいかない。手はずはこの三浦におまかせを!」
実衣:「約束は必ず果たします。息子が鎌倉殿になったとき、執権は平六殿、あなた。」
義村は言質をとると、義時のもとへ向かいました。
義村:「食いついてきた。あとは時元を挙兵に追い込むだけだ。それを謀反人として討ち取る。」
義時と義村の計略に、実衣はハマってしまいました。
義時は、阿野時元が災いの種になりかねないと判断し、公暁のようになる前に対処しなければならないと思ったのです。
朝廷の思惑
京では後鳥羽上皇が鎌倉からの文を読み、不機嫌そうな顔をしています。
手紙の内容は、頼仁親王の下向を催促するものでした。
後鳥羽上皇:「不始末をわびて辞退してくるかと思ったら、ぬけぬけと催促してきおった!」
慈円:「あくまでも、我らの側から断らせようとしているようで…」
慈円は、鎌倉を出し抜くために、有効な手段はないかと考えをめぐらせます。
実衣の処遇
1219年2月22日、実朝暗殺から1ヶ月もたたないこの日に、阿野時元が義時の差し向けた兵に囲まれて自害します。
義時と義村の思惑通り、阿野時元は踊らされて挙兵し、謀反人として討ち取られました。
御所では、実衣についての詮議が始まります。
実衣は、時元の謀反に関して一切関わりがないと否定します。
しかし、実衣が時元あてに送った手紙が見つかります。
【宣旨をいただければ、あなたが鎌倉殿。挙兵すれば御家人は皆従います。】
動かぬ証拠を突きつけられ、実衣は認めざるを得なくなりました。
さらに、三浦義村が実衣の部屋から「朝廷に宣旨を願う書きかけの書状」を探し出し、証拠として差し出します。
義時:「厳罰に処すべきです。」
義時は死罪が相当だとしますが、どこまで本気かわかりません。
政子は長年支えてくれた妹の実衣を養護し、泰時は時元に同情します。
大江広元:「大切な肉親でも、罪を犯した時は罰する。そのとき初めて御家人たちは、尼御台への忠義を誓うことになるのです。」
実衣は処罰が決まるまで、部屋に閉じ込められることになりました。
施餓鬼の儀式
阿野時元の謀反の1ヶ月後、後鳥羽上皇からの返書が届きます。
【2人の親王のうちどちらを選ぶか吟味したい】という内容でした。
すでに候補は頼仁親王に決まっていたため、話が違います。
義時を怒らせ、鎌倉側から断らせようとする魂胆でした。
すでに鎌倉も朝廷も頼仁親王の鎌倉殿就任には反対の立場で、意見としては一致しています。
しかし、「義時は後鳥羽上皇から」、「後鳥羽上皇は義時から」それぞれ断るようにしむけ、根比べが続きます。
そんな中、政子は殺伐とした日々に嫌気がさし、御所の外に出て街の人達のくらしを実際に見て、直接言葉を交わしたいと思いはじめていました。
政子:「私は私の政がしてみたいのです。」
大江広元に伝えると、広元は「施餓鬼(せがき)」を催したらどうか、と提案します。
施餓鬼は死者供養の儀式で、儀式が終わった後、備えられた食べ物などが貧しい百姓たちに振る舞われます。
広元:「民とふれ合うには、よい機会かと。」
政子は、早速、施餓鬼を催します。
御所の庭には人々が集い、北条泰時や平盛綱が、集まった人たちに供え物を渡しています。
政子は誰にでもわけ隔てなく接し、人々は政子を慕って取り囲みました。
政子はつらい暮らしをしている民百姓を励まそうとしましたが、いつの間にか反対に政子が励まされていました。
政子:「ありがとう。」
政子は生きる希望を取り戻していきます。
朝廷と幕府の駆け引き
後鳥羽上皇が実朝を弔うため鎌倉に使者を送ります。
ついでに荘園の地頭に対して要求を出しました。
後鳥羽上皇の寵愛する遊女が所持する荘園に関して、地頭の職を返上しろという要求です。
義時:「嫌がらせに決まっている。」
義時は怒ります。
後鳥羽上皇が返上を要求した荘園の地頭は義時でした。
この要求を断ったことによって後鳥羽上皇が怒り、頼仁親王の下向を取り止めにすれば好都合ですが、そうはならず別の手を繰り出すかもしれません。
これ以上の鎌倉殿の不在は、義時たちにとって手痛いものでした。
義時・広元・時房らは、政子にこの状況を伝えます。
政子:「上皇様は試しておられるのです。実朝様亡き後、この鎌倉がいうことを聞くかどうか。」
義時はいいなりにはならないという姿勢を示し、揺さぶりをかけることに決めました。
義時:「五郎(北条時房)が軍勢を率いて京に向かいます。」
義時は、次の鎌倉殿は皇族ではなく、貴族の「摂関家(せっかんけ)」から選んでくれる方が、鎌倉の意のままになるので望ましいと言います。
政子は、そのことについて、他の宿老たちの承諾を得たのかと尋ねました。
義時:「私の考えが鎌倉の考えです。」
義時は有無を言わせませんでした。
いきなり重い責任を負ってしまった時房がつぶやきます。
時房:「できれば蹴鞠で決着をつけたいものだなあ。」
時房は本気で考えていました。
時房の功績
3月中旬、時房は1000騎の兵を率いて上洛しました。
軍勢はただの護衛であり、朝廷への脅しではないと伝えますが、後鳥羽上皇はその言葉どおりに受け取りません。
後鳥羽上皇:「これでは埒が明かぬ!」
後鳥羽上皇が時房に蹴鞠の真剣勝負を挑んできました。
時房:「望むところでございます!」
いい勝負になりました。
どちらも必死で激しい蹴り合いとなりましたが、やがて後鳥羽上皇が息をきらしてよろめきます。
後鳥羽上皇:「ひきわけじゃ!」
審判役の藤原兼子が鞠を取り上げます。
あとひといきで時房の勝ちというタイミングでした。
兼子が時房に近寄り、耳元でささやきます。
兼子:「上皇様を負かしたとなれば、あのお方はそなたを許しますまい。末代まで朝敵の汚名を着ることになりましょう。」
それを聞いた時房は、後鳥羽上皇の前に出て手をつきます。
時房:「私の負けにございます。」
後鳥羽上皇:「私を負かすことはできなかったが、そなたの力は認めよう。」
後鳥羽上皇は、親王ではなく代わりの者を鎌倉に送ると約束します。
4代将軍候補・三寅(みとら)
そのしばらくあと、後鳥羽上皇の側近・慈円が極秘裏に鎌倉を訪れました。
慈円は「三寅(みとら)」という人物を次の鎌倉殿として下向させたいと提案します。
三寅の出自の説明を、義時と政子が聞いていましたが、イマイチ理解できません。
慈円:「のちほど紙に書いてお渡しいたす。摂関家の流れをくみ、なおかつ源氏の血をひくお方だ。」
それを聞いた義時と政子は喜びます。
政子:「ちなみに三寅様はいくつになられるのですか?」
慈円:「2歳にござる。」
政子と義時は顔を見合わせました。
一方、京では後鳥羽上皇が怒りをあらわにしています。
後鳥羽上皇:「結局は鎌倉の思いのまま。どう思う秀康。」
近臣の藤原秀康(ふじわらひでやす)に問いかけます。
(関連記事:藤原秀康とは?)
藤原秀康:「私が気になるのは、慈円僧正。」
実は、次の鎌倉殿候補・三寅は慈円の一存で決めていました。
三寅は慈円の親戚で同じ九条一門です。
秀康には慈円が図に乗っているように思えました。
尼将軍・政子
7月、三寅が鎌倉に到着します。
三寅は2歳とまだ幼く、元服するのを待ってから征夷大将軍に就任してもらうしかありません。
義時:「私が執権として政を執り行いますので、不都合はないかと。」
政子:「あなたは自分を過信しています。」
政子は反対します。
2歳の三寅に対し、御家人が敬意をもって従うはずもありません。
鎌倉が再び乱れかねないというのは目に見えています。
政子:「私が鎌倉殿の代わりとなりましょう。」
政子の思いがけない提案に義時は驚きます。
しかし、「頼朝の威光を示すことができるのは政子だけだ」と政子に進言したのは、他ならぬ義時自身です。
政子:「鎌倉殿と同じ力を認めていただきます。呼び方は…そうですね、尼将軍(あましょうぐん)にいたしましょう。」
その日の夕刻、御家人たちが集まります。
政子は三寅をひざに乗せて首座につきました。
これは、「三寅の披露目の儀式」と、「尼将軍・政子の披露目の儀式」でした。
政子はこれにより、執権・義時でも刃向かえない力を手にしたことになります。
政子は手始めとして、部屋に閉じ込められていた「実衣」を助け出しました。
第47話に続きます。