チェチェン紛争とは何かを簡単に-ロシアのウクライナ侵攻との関係

チェチェン共和国 政治・経済
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ロシアのウクライナ侵攻が「チェチェン紛争」に酷似しているとの意見があります。

イギリスのジョンソン首相もウクライナでの戦争が始まる前、「このまま行けばウクライナは第2のチェチェンになる」という趣旨の発言をしていました。

チェチェン紛争とはどのような出来事なのかを簡単にまとめます。

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チェチェン紛争とは

チェチェン人は古くから北コーカサスに住んでいたとされています。

18世紀にロシア帝国が南下政策をとり、その北コーカサス地域へ侵略します。

チェチェン人は激しく抵抗しましたが、1859年、周辺地域とともにロシア帝国に併合されました。

これ以降、ロシアとチェチェンは何度も対立を繰り返すようになります。

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第一次チェチェン紛争

1991年、ソビエト連邦崩壊直前にチェチェンは一方的にソ連からの独立を宣言します。

当時のエリツィン大統領は軍を派遣しますが、チェチェン側が猛反撃。

ロシア側の軍を追い返します。

すると1994年、準備を整えたロシア政府は本格的に軍事行動を開始します。

しかし時期はソ連崩壊後の混乱期。

圧倒的な軍事力の差があるにも関わらず、侵攻は思うようにうまくいきません。

結果的に民間人に多大な被害を出し、国際社会から避難を浴びます。

対するチェチェン側はアルカイダのメンバーを司令官に据え、反撃を行います。

アルカイダの戦闘員は防衛戦だけでなく、ロシア国内でテロ行為を行い、そこで数百人といわれる死者が出ています。

双方多大な被害を出しながら1996年、休戦条約が結ばれます。

翌1997年に5年間の停戦合意が成立、ロシア軍はチェチェンから完全撤退し、一旦は紛争が収まります。

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第二次チェチェン紛争

停戦中の1999年、チェチェンの強硬派が突如和平協定を破り、隣国の「ダゲスタン共和国」に侵攻を始めます。

同時期にロシアの首都モスクワなどで「アパート連続爆破事件」が発生。

ロシアはこの爆破テロをチェチェン側の仕業だと認定。(※ロシア側の偽旗作戦という見解もあります。

この時、ロシアの首相に就任したばかりのウラジミール・プーチン氏(現ロシア大統領)は、ロシア軍をチェチェンに進撃させます。

和平協定は無効となり、第二次チェチェン紛争が勃発します。

ロシア軍は2000年にチェチェンの事実上の首都「グロズヌイ」を制圧、アフマド・カディロフ氏(※現チェチェン共和国・カディロフ首長の父)を大統領とし、チェチェンに親露政権を樹立させます。

しかし、以降もチェチェンはロシアに抵抗します。

ゲリラ化したチェチェン独立派は、イスラム過激派と結びつき、「モスクワ劇場占拠事件」「モスクワ野外コンサート会場爆破事件」「ベスラン学校占拠事件」などの凄惨な事件を起こしながら紛争は泥沼化していきます。

2009年5月、ロシア政府はチェチェンでのテロが沈静化したとして戦争終結宣言を出します。

第二次チェチェン紛争はこれをもって終結したとされていますが、以降もチェチェン独立派関係者によるテロは起きています。

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ロシアのウクライナ侵攻との関係

ロシアのウクライナ侵攻とチェチェン紛争にはいくつかの共通点があります。

  • 当初は圧倒的な軍事力ですぐにロシアの勝利で終わると見られていたが予想外に長期化したこと
  • それに伴い民間人の被害が大きくなったこと
  • 西側諸国がロシアの人権侵害を激しく避難し、国際社会から孤立したこと
  • 各国の非難に対してロシア側が「核兵器の使用」をほのめかしたこと

プーチン大統領はチェチェンでこういったことを経験済みです。

彼は今、チェチェンとウクライナを比べて次の手段を練っているのかもしれません。

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