NHK大河ドラマ「どうする家康」の第34話「豊臣の花嫁」のネタバレとあらすじをご紹介します。
この記事には大河ドラマの内容のネタバレが含まれています。
事前に内容を知りたくない方は、適宜読み飛ばしてください。
どうする家康ネタバレとあらすじ 第34話「豊臣の花嫁」
9月3日放送予定の「どうする家康」第34話「豊臣の花嫁」の内容です。
前回の第33話「裏切り者」で、家康の懐刀・石川数正が秀吉のもとへ出奔しました。
小牧・長久手の戦いで、戦には勝利したものの、秀吉の策により総大将・織田信雄があっさりと降伏。
秀吉の配下となるように言われます。
大義名分を失った家康はやむなく和睦。
しかし、この和睦は「敵を欺くかりそめの和睦」という位置づけでした。
家康は秀吉に従わず、じわじわとチャンスを伺います。
そんな家康に石川数正が「秀吉の臣下に入るべきだ」と進言します。
秀吉との交渉役を任されていた数正は、秀吉の力の強大さと怖さを誰よりも理解していました。
数正は忌憚なき意見を家康にぶつけ、秀吉に降るように説得します。
家康は家康で違った信念があり、意見の異なる数正を、心を尽くして説得しました。
数正は家康の言葉を聞いて覚悟を決め、皆の前で叫びます。
数正:「羽柴秀吉何する者ぞ!われらの国を守り抜き、われらの殿を天下人にしようぞ!」
それから数日後…
書き置きと木彫りの仏を残し、家康の懐刀・石川数正は豊臣秀吉のもとへ出奔していきました…
第34話「豊臣の花嫁」はこの続きから始まります。
徳川軍再編
「徳川の屋台骨」
そう表現しても過言ではない石川数正の出奔は、徳川家中に大きな衝撃を与えました。
家康はもちろん、もう1人の片腕・左衛門尉も暗然たる思いでいました。
なぜ秀吉もとへ行ってしまったのか―――
かばおうにも理由が見当たりません。
数正は左衛門尉にすら告げずに、家康を侮辱するような書き置きを残して去ってしまいました。
長年、数正と苦労を共にしてきた者には受け入れがたい出来事でした。
比較的新参者の井伊直政に「裏切り者」だとそしられても、返す言葉がありません。
家康:「もうよい…去った者のことは忘れよ…今後のことを考えよ…」
本多正信が「まさしく難儀なのは今後だ」と指摘します。
「家康の片腕」とも言える数正が敵についたということは、「徳川軍は、裏の裏まで秀吉に筒抜け」ということと同じ意味でした。
正信:「今度こそ、秀吉は迷うことなく攻めて参りましょう。」
そうなれば、どう考えてもこちらに勝ち目はありません。
家康:「…天下を手に入れ、安寧な世を作るのは、この家康である!」
家臣の不安を振り払うかのように、家康は強気で言い放ちます。
そして、今までの軍の仕組みを一掃し、正信の進言を取り入れて、軍勢の仕組みを武田流に改めることとを決めました。
大地震
2週間後、日の本を巨大な地震が襲いました。
天正地震と伝わるこの地震で、三河国でも多数の死人が出ました。
しかし、秀吉の治める機内一帯では、はるかに大きな被害が出ていました。
死者は数え切れず、「徳川との戦に備えて用意していた大垣城」すらも火事で焼け落ちてしまっています。
こうなると民を救うのが先決で、戦をしている場合ではありません。
秀吉:「…つくづく運のええ男だわな…家康って奴は…」
秀吉が苦々しくつぶやきました。
正室・旭姫
地震の始末に追われるなか、織田信雄が家康を訪ねてきました。
信雄の長島城(ながしまじょう)は、地震で崩壊してしまい、多くの民が死んでしまったとのことでした。
信雄:「天が戦など止めよと言っておる。…徳川殿、上洛なされ。」
秀吉側に寝返った信雄が、「秀吉と力を合せて民を救うときだ」と家康を説得します。
家康は葛藤しました。
大きな地震が起こり、戦をやっている場合ではありません。
たしかに信雄の言う事はもっともで、そのとおりだとは思います。
しかし、秀吉はどうしても信用できません。
そうして、家康が上洛をためらっていると、秀吉は妹の旭(あさひ)を夫と離縁させ、家康の正室に差し出すと言ってきました。
つまりは「秀吉が妹を人質に出す」と言ってきたのです。
秀吉は、それほどまでして戦を避けたいと思っていました。
瀬名のこともあり、正室はとらぬと決めていた家康でしたが、やむなくこの申し出を受けることに決めました。
関連記事:家康の正室と側室たち
「豊臣秀吉と徳川家康」の駆け引き
それからまもなくして、秀吉の妹・旭が家康に嫁いできました。
このとき家康は45歳、旭は44歳です。
お世辞にも「キレイな花嫁」とは言えませんでしたが、旭は器量はともかく話芸は巧みで、秀吉と同じクセの強い尾張弁で皆を笑わせます。
於大(※家康の母)や於愛(※家康の側室)とはすっかり打ち解けてしまいました。
旭は、豊臣と徳川の間を取り持とうと、懸命に明るくふるまっていました。
しかし、家康はそれでも秀吉に従おうとはしません。
家康:「わしは、上洛はせん!大坂にはいかぬぞ!」
かたくなに秀吉への臣従を拒む家康に、本多正信が出奔した石川数正の様子を知らせてきました。
数正は、それなりの処遇を与えられてはいるものの、屋敷から出ることすらめったにないとのことでした。
正信:「これは、いわゆる飼い殺しかと」
よくよく考えれば、家康の片腕ともいえる数正は、秀吉から見ればスパイのように思えます。
もし、そうでなくても「長年使えた主を裏切った不忠者」には違いないので、秀吉がたやすく重用することはありません。
家康:「…愚かなやつじゃ…」
悔しさと悲しさをにじませて家康が言いました。
数正とは何かと意見が対立することが多かった平八郎、小平太、直政らも家康と同じ気持ちでした。
正論ばかりの老武者は時にうっとおしく、決して好きではありませんでしたが、皆、心の中では数正のことを敬っていました。
石川数正の本心
あれこれ手を尽くしても一向に上洛しない家康に業を煮やした秀吉は、ついに「自分の母親・大政所(おおまんどころ)を人質に出す」と言ってきました。
―――「妹も母も人質に差し出す、それでも上洛しないのであれば、もはや戦しかない」―――
秀吉の最後通牒とも言える申し出を受け取った家康は、評定を開きます。
重く張り詰めたこの評定で、平八郎・直政らはいつものとおり、「戦をするべきだ」と主張します。
これに飲まれることなく、数正がいなくなって唯一の家康の片腕となった左衛門尉は、冷静に皆の真意を問いただしました。
…やはり、勝敗のカギとなるのは、出奔した石川数正の存在でした。
大久保忠世:「しかし、飼い殺しになることくらい、分からんかったのだろうか?…石川数正ともあろう者が…」
首を傾げる大久保忠世に、左衛門尉が答えます。
左衛門尉:「覚悟のうえで行ったに決まっておるさ」
―――徳川の他の家臣に見えていないものが、石川数正には見えていました。
そして、左衛門尉だけがそれに気づいていました。
「天下人となり、戦なき世をつくる」
亡き瀬名との誓いに、家康は心を縛られて苦しんでいると―――
数正は、自分が憎まれ役になって出奔することによって、戦を避けようとしたのです。
家康と徳川を守るために…
わざわざ皆から憎まれるような書き置きを残して、罪を1人で背負ってまで…
…家康は、ようやく数正の本心に気づきます。
家康:「…数正のあほたあけーーーー!」
不器用な石川数正という老将の生き様が、家康の心の鎖を解き放ちました。
こうしてこの数日後、家康はついに上洛。
諸大名が列席する前で、家康は関白・豊臣秀吉への臣従を誓いました。
第35話に続きます。
関連記事:石川数正の「その後」