大河ドラマ【どうする家康】では、側室がらみの話が結構クローズアップされています。
これは後に謀反を疑われて処罰される正妻・瀬名の心情を表現したり伏線を張ったりする役割のためだと思われます。
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そんな家康の側室は全部で何人いたのでしょうか?
徳川家康の側室は全部で何人?
かなり昔のことなので諸説があってハッキリとした数は確定していませんが、徳川家康の側室は約20人ほどいたとされています。
【どうする家康】では家康は愛妻家として描かれていますので、以外に思った方も多いかもしれません。
この側室達のうち、第18話終了時点で登場したのは「お葉(=西郡局)」ただ一人です。
今後、お万の方とお愛の方が登場するのは確定していますが、その他のほとんどの側室は登場しないでしょう。
みんな登場したらそれだけで話が終わっていまいます。
ドラマに登場予定の「お万の方」「お愛の方」は後ほど詳しく説明し、その他の側室の方達は簡単に名前を列挙するにとどめます。
約20人いた徳川家康の側室達は以下の人たちです。
- 西郡局(にしのこおりのつぼね:蓮葉院)→※お葉(およう)はこの人です。
- 於万の方・於古茶(おまんのかた・おこちゃ:長勝院)→※お万の方のことです。
- 於愛(おあい:竜泉院・西郷局)→お愛の方のことです。
- 於竹(おたけ:良雲院)
- 於都摩(おつま:下山殿:妙真院)
- 於茶阿(おちゃあ:朝覚院)
- 於亀(おかめ:相応院)
- 於久(おひさ:普照院)
- 於万(おまん:養珠院)→※ドラマに出てくる「お万の方」と名前は一緒ですが別人です。
- 於梶(おかじ:英勝院)
- 於富(おとみ:山田氏・信寿院)
- 於夏(おなつ:清雲院)
- 於六(おろく:養儼院)
- 於仙(おせん:泰栄院)
- 於梅(おうめ:蓮華院)
- 阿茶局(あちゃのつぼね:雲光院)
- 於牟須(おむす:正栄院)
- 於松(おまつ:法光院)
- 三条氏(さんじょうし:三条氏の娘・名前不明)
- 松平重吉の娘(名前不明)
どうでしょう?いっぱいいます。
お万の方とは?
数多くいる側室の中からドラマ出演を果たした「お万の方」とは一体どのような人物だったのでしょうか?
先程の側室一覧をご覧頂いた方は、「お万の方」が2人いることに気づいたかと思います。
このうちドラマに出るのは「於古茶(おこちゃ)」とも呼ばれる2番目の人の方です。
彼女は神官の娘で、もともと瀬名に仕えていました。
そこに家康が手を出してしまいます。
このとき、瀬名はお万の方を妾として承認していなかったにもかかわらず、妊娠までしてしまったため、瀬名はお万の方を追放しました。
側室(妾)が城内から追放されるということは、生まれてくる子供が家康の子供として承認されないということを意味します。
このときにお万の方のお腹の中にいた家康の次男・結城秀康は、後に豊臣秀吉の養子となり、その後結城晴朝の養子となったため、長男・信康亡き後の徳川家を継ぐことはありませんでした。
お愛の方とは?
お愛の方は江戸幕府第2代将軍・徳川秀忠のお母さんです。
お愛の方はもともと東三河の西郷義勝(さいごうよしかつ)という武将と結婚していました。
その西郷義勝は武田氏との戦で戦死してしまいます。
夫を亡くしたお愛の方は、母のもとに身を寄せていました。
そこへたまたま訪れた家康がお愛の方を気に入って浜松に連れ帰ったとされています。
その翌年、のちの徳川秀忠を出産。
そのさらに翌年には後の尾張清須藩主となる松平忠吉を出産します。
しかし、それから10年も経たないうちに、30歳前後という若さで亡くなってしまいます。
彼女は人柄が素晴らしく、家康はもちろん家臣や侍女からも慕われていたと言われます。
また、彼女は極度の近眼だったそうで、盲目の人たちに同情しその人たちの支援を行っていたため、盲目の人からも大変慕われていたと伝わっています。
まとめ
- 徳川家康の側室は約20人
- お万の方は家康の2男を出産したが、正妻・瀬名に認められなかったため跡継ぎにはなれなかった
- お愛の方は第2代将軍となる徳川秀忠を出産
- お愛の方は多くの人に慕われていたが、30歳前後という若さで亡くなった
大河ドラマでは愛妻家として描かれている家康ですが、実際は少なくとも約20人は側室がいました。
妻の瀬名もそのことに対してストレスが大きかったのかもしれません。