鎌倉殿の13人ネタバレとあらすじ 第47話「ある朝敵、ある演説」(承久の乱開戦)

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鎌倉殿の13人の第47話「ある朝敵、ある演説」のあらすじです。

この記事の内容はネタバレを含みます。

事前に内容を知りたくない方は、適宜読み飛ばして下さい。

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鎌倉殿の13人 第47話のあらすじ

12月11日放送予定の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の第47話「ある朝敵、ある演説」のあらすじです。

前回の46話「将軍になった女」では、鎌倉と朝廷の駆け引き、尼将軍・政子の誕生が描かれました。

義時は、実朝と公暁が亡くなった後、最後の源氏嫡流の男子・阿野時元を計略にはめて討ち取ります。

源氏の血筋を残しておけば、また公暁のように鎌倉殿の座を狙った謀反が起こると危惧したためです。

次の鎌倉殿は、一旦は後鳥羽上皇の子・頼仁親王に決まったものの、実朝の暗殺事件を受け、幕府も朝廷もそれを取り止めにしたいと思っていました。

ですが、それぞれに思惑があり、互いに「相手から断らせたい」と駆け引きを繰り広げます。

そんな中、政子は民百姓たちと触れ合うことで、息子と孫を失った悲しみを次第に乗り越えていきます。

結局、幕府と朝廷の駆け引きは、北条時房の活躍(?)により、「摂関家から次の鎌倉殿候補を送る」ということで決着がつきました。

しかし、新たな鎌倉殿となった「三寅」は、まだ2歳の子供でした。

義時は「自分が執権として政を執り行うから問題ない」と主張しますが、政子はこれに反対。

政子自身が「鎌倉殿の代わりとなる」と宣言します。

義時は驚きますが、そもそも頼朝の威光を示すために、隠居しようとする政子を鎌倉に留めたのは義時です。

政子は「尼将軍」を名乗り、御家人たちの前で自身が鎌倉殿の代わりであることをアピールしました。

これで北条政子は、執権・北条義時でも刃向かえない力を手にしました。

47話「ある朝敵、ある演説」はその続きから始まります。

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内裏焼失

三寅が4代目鎌倉殿となることが決まったのと同じ頃、京で事件が起きました。

源氏の流れをくむ源頼茂(みなもとのよりしげ)という人物が、次期鎌倉殿が三寅に決まったことに不服を申し立て、謀反を起こしたのです。

謀反は鎮圧されますが、源頼茂は、最終的に内裏に火を放って自刃します。

内裏は燃え、保管されていた宝物が焼失しました。

後鳥羽上皇は、この内裏を再建するため、御家人達に費用を出すように命じます。

上皇は、義時がこの命令に従うとは思っていません。

しかし、義時がこの命令に異を唱えれば、義時と他の御家人たちの間で意見が衝突し、亀裂が生じるかもしれません。

このころ、後鳥羽上皇はすでにかなり義時のことを嫌っていました。

内裏再建の費用を集めながら、あわよくば鎌倉の不和を狙うという後鳥羽上皇の計略でした。

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後鳥羽上皇挙兵

幕府と朝廷の溝は深まっていました。

1221年5月、ついに後鳥羽上皇は京都守護を襲撃します。

京都守護には北条義時の妻・のえの兄である、「伊賀光季(いがみつすえ)」が就いていました。

伊賀光季はこの襲撃で自刃します。

朝廷方が鎌倉幕府の執権・北条義時の義理の兄を殺したことになります。

後鳥羽上皇:「これをもって北条討伐ののろしといたす。

数日後、鎌倉の三浦館に後鳥羽上皇の使者が訪れます。

使者は、北条義時討伐を命じる院宣(※上皇の命令文書)を三浦義村に手渡しました。

この時、三浦館には義時に不満を抱く「長沼宗政(ながぬまむねまさ)」が来ていました。

義村が院宣の話をすると、長沼宗政もその院宣をすでに受け取っていると明かします。

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後鳥羽上皇の標的

一方、義時は伊賀光季が襲撃される直前に送った文を受け取り、後鳥羽上皇の挙兵を知ります。

驚いた義時は、政子、時房、泰時、大江広元、三浦義村などの主要な人物達を集めます。

三浦義村のところにいた長沼宗政もこれに同行しました。

「後鳥羽上皇はすでに有力な御家人に院宣を出しているはずだ」と大江広元が推測すると、三浦義村がすぐさま受け取った院宣を差し出します。

それを見た長沼宗政も慌てて院宣を差し出しました。

その後、三浦義村のもとに院宣を届けた使者の取り調べが行われます。

その結果、義時に反発する有力御家人を含め、計8通の院宣が出されたことがわかりました。

義時は黙考し、泰時、時房、朝時を呼びます。

義時:「この院宣をよく見ろ。これは鎌倉に攻め込むためのものではない。私を追討せよという院宣だ。

自分のために鎌倉を戦場にするわけにはいきません。

義時は、泰時たちに鎌倉の今後を託したあと、政子に会いに行きます。

そして、政子に対し、執権としての最後の役目を果たす決意を表明しました。

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「尼将軍」の演説

義時の招集により、御所に御家人が集まります。

義時が勢ぞろいした御家人の前に立ち、経緯を話そうとしたとき、政子が現れました。

政子は義時を下がらせ、なにやら紙を取り出して読み上げはじめます。

政子が大江広元に書かせた文章でした。

政子:「源頼朝様が朝敵を討ち果たし、関東を治めてこのかた、その恩は山よりも高く、海よりも深い…」

朝廷が起こした戦により、鎌倉に危険が迫っていることを、御家人の心に響くように訴えかけます。

しかし、政子はその文章をすべて読むことなく、途中で紙をしまいます。

そして、後鳥羽上皇の狙いは鎌倉ではなく、ここにいる執権・北条義時の首だと真実を語り始めます。

政子:「鎌倉が守られるのならば、命を捨てようとこの人(義時)は言った。あなた達のために犠牲になろうと決めた。」

義時が、これまで皆から憎まれても仕方のないような厳しい態度をとってきたのは、鎌倉を守るためだと強調します。

政子:「ここで上皇様に従って、未来永劫西の言いなりになるか、戦って坂東武者の世を作るか…頼朝様の恩に今こそ応えるのです!

政子が鼓舞すると、御家人たちが大きな雄叫びを上げました。


第48話(最終回)に続きます。

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