大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、源義経の正妻は三浦透子さん演じる「里」という女性です。
伝承では「郷御前」と呼ばれるこの人物は、どのような人生を歩んだのでしょうか?
里の最期
里(郷御前)は源義経と一緒に奥州藤原氏のもとへ身を寄せ、最期は義経と4歳の娘と共に亡くなります。
館を襲撃された義経は、妻である里(郷御前)と娘を連れて仏堂に入り、2人を殺した後に自害したと伝わります。
義経はこのとき31歳、里(郷御前)は22歳だったとされています。
義経の妻として有名なのは「静御前」の方ですが、最期まで連れ添ったのは正妻である里(郷御前)でした。
里(郷御前)があまり知られていないのは何故?
源義経は日本人の間ではかなり有名です。
「源頼朝は知らずに、源義経は知っている」という人もいるくらいです。
そして義経の妻(※実際は妾)として「静御前」も有名です。
「頼朝の目の前で義経を想う舞を舞った」というエピソードは聞いたことがあるかもしれません。
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ですが、義経の正妻であるはずの里(郷御前)については、知らない人も多いのではないでしょうか?
この理由として、「この時代の出来事を伝える鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡』は北条氏が編纂したものである」ということがあげられます。
北条氏が編纂した歴史書なので、北条氏に都合のいいように書かれることが多いのが「吾妻鏡」です。
里(郷御前)は比企氏の縁者です。
大河ドラマでもこの後描かれるはずですが、北条氏と比企氏は鎌倉幕府の実権を握って血なまぐさい権力争いを繰り広げることになります。
そのため、比企氏のことについては記載が少ない傾向にあります。
比企氏の縁者である里(郷御前)のこともほとんど記録されておらず、吾妻鏡の中では「結婚」「奥州へ逃亡」「最期」の3ヶ所しか記されていません。
静御前は京の白拍子(舞を舞う芸人)であったため、権力争いとは無関係でした。
妾の静御前が有名なのに、正妻の里(郷御前)がほとんど知られていないのは、出身一族の権力争いに深い関係がありました。