静御前の最期はどうなる?義経と頼朝対立後の伝承

静御前 政治・経済
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源義経と源頼朝が対立した後、義経の妾であった「静御前」が活躍する場面があります。

この静御前はその後どうなったのでしょう?

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静御前の最期はどうなる?

静御前は、史料では消息不明となっています。

鎌倉幕府の歴史書である「吾妻鏡」では、静御前が京に帰ったところまでは記載がありますが、その後については一切名前が出て来ません。

このため、静御前の最期については各地に様々な伝承が伝わっています。

後述しますが、静御前は義経との子供を頼朝に殺されています。

その失意から、「子供が殺されたのと同じ由比ヶ浜で入水自殺をしたという説」を始め、

「義経を追う途中で病気になって亡くなったとする説」

「義経が北海道に逃れるときに静御前も同行し、二人目の子供を授かったが難産のため亡くなったとする説」

など、様々な説が伝わっており、墓所も静御前にまつわる地名も全国各地に点在しています。

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義経と頼朝対立後の静御前

壇ノ浦の戦いで平家を滅ぼした後、源頼朝と源義経が対立します。

源義経の妾である静御前は、しばらくは義経と行動を共にします。

途中、頼朝の追手を逃れるため隠れていた吉野(奈良県)で別れ、別々に逃げます。

義経は逃げ果せたものの、静御前はこのときに捕まります。

身柄は北条時政に引き渡され、鎌倉へ送られます。

鎌倉へ着くと、頼朝から舞を舞うように命じられます。

ここで有名な「しづやしづ」の唄を歌います。

しづやしづ しづのをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな
(訳:しずの布を織る糸をまるく巻いたおだまきから糸が繰り出されるように、たえず繰り返しつつ、昔を今にする方法があったなら)

吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ恋しき
(訳:吉野山の峰の白雪をふみわけて、姿を隠していったあの人(義経)が恋しい)

つまり、頼朝の目の前で「義経が活躍した世の中に戻って欲しい」「義経が恋しい」と堂々と言い放ったということです。

もちろん、頼朝は激怒します。

これを妻の北条政子がたしなめたことで、なんとか静御前は命を拾うことになりました。

ただし、頼朝が完全に許したというわけではありません。

このとき、静御前は義経の子を妊娠していました。

頼朝は静御前のお腹の子について「女子ならば助け、男子であれば殺せ」という命令をだしました。

生まれた子は、男の子でした。

静御前は引き渡しを拒みますが、赤子は取り上げられ、鎌倉南部の由比ヶ浜に沈められてしまいました。

その後、静御前は京へ帰されました。

哀れに思った北条政子と大姫(頼朝の長女)が多くの宝を持たせたといいます。

ここで静御前に関する記述は終わり、その後の消息は不明となっています。

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