【どうする家康】長丸(ちょうまる)、福松(ふくまつ)とは誰のこと?

【どうする家康】長丸(ちょうまる)、福松(ふくまつ)とは誰のこと? 映画・ドラマ
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大河ドラマ「どうする家康」で、家康が富士遊覧の返礼として信長から安土城に招かれるとき、於愛が2人の幼い子どもを連れてきます。

長丸(ちょうまる)、福松(ふくまつ)と呼ばれるこの2人の子供は、徳川家康の子供ですので、当然有名人です。

この2人の子供は誰のことで、成長したらどうなるのでしょう?

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長丸(ちょうまる)とは?

長丸(ちょうまる)は、徳川秀忠のことです。

母は西郷局(お愛)で、家康の3男にあたります。

江戸幕府の第2代征夷大将軍であり、徳川家康の跡継ぎとなります。

長丸(秀忠)が生まれて約5ヶ月後、長男・信康が切腹しました。

次男の秀康(於義丸)は、後に豊臣秀吉の養子に出されます。

兄2人が徳川を継ぐことができなくなったため、3男の長丸(秀忠)が徳川家康の跡を継ぐことになりました。

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福松(ふくまつ)とは?

福松(ふくまつ)は、松平忠吉(まつだいらただよし)のことです。

長丸と同じく西郷局(お愛)が母で、徳川家康の4男です。

福松(忠吉)は、生まれた翌年、徳川の親戚にあたる東条松平家の家督を継ぎます。

更にその翌年、駿河沼津城に移転し、4万石の城主となります。

2歳で。

なので、「どうする家康」に出てきたあの子供の福松は、すでに城持ちの武将ということになります。

家康が関東に移った際には、武蔵国忍城の城主となり、関ヶ原の戦いで手柄をあげると尾張・美濃の2カ国を与えられ、尾張清須藩の主となりました。

しかし、その後は病に苦しめられ、1607年、家康や秀忠よりも先に亡くなりました。

享年は28でした。

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まとめ

長丸は第2代将軍・徳川秀忠のこと、福松は尾張清須藩主となる松平忠吉のことです。

この2人は大河ドラマでも活躍の機会は大いにありますので、これからどう成長するのか楽しみに待ちましょう。

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