大河ドラマ「どうする家康」に「のんべえの本多忠真」という家臣が登場します。
この人は徳川四天王の1人である本多忠勝の叔父であり、槍の名手として有名な人物です。
彼は三方ヶ原の戦いで伝説的な討ち死にをします。
今回はそのあたりをご紹介したいと思います。
本多忠真の最期と死因
本多忠真は三方ヶ原の戦いで戦死します。
享年は生年があやふやなためハッキリとはわかりませんが、39歳・もしくは42歳でした。
三方ヶ原の戦いとは、「武田信玄VS徳川家康」の戦いで、当時から最強として恐れられていた武田信玄と、まだそのころは少大名に過ぎなかった徳川家康が真正面からまともにぶつかった戦です。
「最強VS少大名」でまともにぶつかったので、もちろん「最強」の圧勝に終わりました。
武田信玄の策略に見事に引っかかった家康は、少ない兵で準備万端の最強軍団と対峙します。
始まる前から勝負あり状態のこの戦は、わずか2時間ほどで終了します。
すぐに徳川軍の敗走が始まると、本多忠真は殿(しんがり)を買って出ました。
このとき、徳川軍は総崩れで、家康自身も討ち取られる危険がありました。
本多忠真はそういった状況を理解していたのか、逃げながら戦うのではなく、武田軍が追撃してくる中、踏みとどまって戦います。
そして、旗指し物を左右に突き刺し、「ここから先へは一歩も退かぬ!」と叫び、武田軍と激しい戦闘を繰り広げたと伝わります。
そしてそこで壮絶な討ち死にを遂げました。
漫画のような出来事ですが、本当にこの人はそれをやったらしいです。
三方ヶ原の戦いでは、本多忠真にしろ、夏目広次にしろ、徳川家臣の伝説的な活躍が有名です。
夏目広次の方の逸話は、別の記事にまとめていますので興味があれば御覧ください。
関連記事:夏目広次の最期
本多忠真は酒好きだったの?
ところで、「どうする家康」では本多忠真は「酒好きの飲んべえ」ということになっています。
これは本当だったのでしょうか?
しかし、残念ながら(?)本多忠真が酒好きだったという資料は何も見つかりませんでした。
彼に関する記述で酒に関連するようなものは見当たらず、酒で失敗したなどのエピソードもありません。
ということは、おそらくは大河ドラマのキャラ付けです。
大河ドラマは登場人物が多く、今回のドラマは徳川家臣がたくさん出てくるので、ごちゃ混ぜにならないように家臣それぞれにハッキリしたキャラ付けをしているのだと思われます。
これは推測ですが、本多忠真が「飲んだくれキャラ」になったのは、同じ本多の一族に「酒飲みで有名な人物」がいるからかもしれません。
本多忠真の甥っ子に「本多忠勝(演:山田裕貴さん)」がいます。
その本多忠勝の息子(次男)に「本多忠朝(ほんだただとも)」という人物がいるのですが、この人が酒飲みとして有名です。
なにせ、大阪冬の陣で「酒の飲み過ぎで負ける」というミラクルを起こしています。
本多忠朝は、翌年の大阪夏の陣で汚名返上のために先鋒を買って出て、討ち死にしてしまいました。
ですが、「酒のために身をあやまる者を救おう」と遺言を遺していたらしく、以降「酒封じの神」として崇められています。
本多忠真の「飲んべえキャラ」は、一族である本多忠朝のエピソードを参考にしたものなのかもしれません。
徳川四天王・本多忠勝との関係は?
本多忠真は、本多忠勝の叔父です。
ですが、同時に徳川四天王・本多忠勝の育ての親でもあります。
本多忠勝の父(=本多忠真の兄)は、織田と今川との戦で討ち死にします。
このとき、本多忠勝はまだ1歳。
父を失った本多忠勝は、叔父である本多忠真に引き取られます。
本多忠真は読み書き、武士の心得、武芸などを本多忠勝に教えます。
「戦で傷一つ負ったことがない」と言われる本多忠勝ですが、初陣の際には討ち取られそうになるという大ピンチを向かえました。
本多忠勝の初陣は、桶狭間合戦の前哨戦・鷲津砦での戦いです。
このとき、討ち取られそうになった本多忠勝を救ったのが叔父であり育ての親の本多忠真でした。
1歳のときから預かっていますから、本当の子供のように思っていたのかもしれません。
以降も多くの戦で本多忠勝を補佐しています。
「本多忠勝が戦でケガを負ったことがない」という伝説の影には、育ての親・本多忠真の存在があったようです。
まとめ
- 本多忠真は三方ヶ原の戦いで伝説的な討ち死にを遂げる
- 本多忠真が大酒飲みだった記録はない
- 大酒飲みは本多忠勝の次男・本多忠朝
- 本多忠真は徳川四天王・本多忠勝の育ての親
大河ドラマで本多忠真の勇姿がどのように描かれるのか楽しみに待ちましょう。