NHK大河ドラマ「どうする家康」のおそらく前半戦の山場となる「三方ヶ原の戦い」が描かれます。
この戦いは、徳川家康生涯最大の敗戦として知られています。
当然、徳川軍には多くの犠牲者が出ました。
この記事では、三方ヶ原の戦いで戦死した主な武将をまとめます。
目次
三方ヶ原の戦いで戦死した武将
夏目広次(吉信)
三方ヶ原の戦いで戦死した武将のなかで、一番有名なのは夏目広次(吉信)でしょう。
ドラマの中では家康が何度も名前を間違え、最後の最後で本名を思い出して呼ぶという演出がされました。
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彼は浜松城の留守を預かっていて、三方ヶ原には出陣していなかったものの、主人の窮地を救うべく身代わりになるために城を抜け出します。
その働きは伝説的なエピソードとなっています。
詳しくは別の記事にまとめていますので、こちらをご覧ください。
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なお、夏目広次の三男は後に重い罪を犯しますが、広次の功績により無罪放免となっています。
家康がどれだけ広次に対して感謝をしていたかが伺えます。
本多忠真
大河ドラマでは「飲んべえ」の本多忠勝の叔父、本多忠真も三方ヶ原の戦いで討ち死にします。
彼も伝説的なエピソードで有名です。
マンガなどでよく見かける「ここから先は一歩も通さん!」を実際にやった人です。
それで主人が逃げる時間を稼いで討ち死にしていますから、侍としてメチャクチャかっこいい最期を遂げています。
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その他の武将
鳥居忠宏(とりいただひろ)
鳥居忠吉(忠吉翁:演・イッセー尾形さん)の4男で、鳥居元忠(彦右衛門:演・音尾琢真さん)の弟です。
徳川軍が大敗を喫すると、彼は殿(しんがり)をつとめます。
そして、武田方の名将・土屋昌続(つちやまさつぐ)と一騎打ちの末、討ち取られたとされています。
成瀬正義(なるせまさよし)
伝令や旗奉行として家康に仕えていた人物です。
この戦いで、成瀬正義は旗奉行として家康本陣を守っていました。
武田四天王の一人、馬場信春が本陣に突入しようとしていることを察知した正義は、これを防ぐために家康の身代わりとなって討ち死にしたとされています。
家康の身代わりになったのは?
前述のとおり、夏目広次(吉信)、成瀬正義が徳川家康の身代わりとなり、討ち死にしました。
ですが、このときもう一人家康の身代わりになった人物がいます。
鈴木久三郎(すずききゅうさぶろう)という武士で、おそらく大河ドラマには出てきません。
徳川軍が総崩れとなったとき、この鈴木久三郎も家康の身代わりになろうとします。
家康は家臣を見捨てて逃げることを拒みました。
このことに対して久三郎は怒ります。
主君が生き延びねば、すべての家臣とその家族達が窮地に立たされてしまうからです。
久三郎は家康の持っていた軍配を奪い取ります。
そしてそのまま武田軍の中に突撃します。
軍配は指揮官(大将)が持つものなので、これを持っていれば敵は久三郎を家康と勘違いするかもしれません。
この後、どうなったのかという詳細はわかりませんが、鈴木久三郎は生還したとされています。
同じようなタイミングで家康の鎧をつけて突撃した夏目広次の方に武田軍が群がったのかもしれません。