どうする家康ネタバレとあらすじ 第42話「天下分け目」(関ケ原前哨戦)

どうする家康ネタバレとあらすじ 第42話(関ケ原前哨戦) 映画・ドラマ
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NHK大河ドラマ「どうする家康」の第42話「天下分け目」のネタバレとあらすじをご紹介します。

この記事には大河ドラマの内容のネタバレが含まれています。

事前に内容を知りたくない方は、適宜読み飛ばしてください。

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どうする家康ネタバレとあらすじ 第42話「天下分け目」

11月5日放送予定の「どうする家康」第42話「天下分け目」の内容です。

前回の第41話「逆襲の三成」で、家康が中心となって政を行うようになると、それに不満を持つ者たちの動きが活発化してきます。

家康暗殺未遂事件に始まり、会津の上杉景勝が戦の準備をしているという噂まで広まりました。

上杉の真意を確かめるため、家康は上洛するように何度も要請を出しますが、一向に応じません。

たまりかねて最後通牒を出すと、上杉家の重臣・直江兼続から家康を侮辱し、挑発するような内容の書状が届きました。

もはや戦は避けられぬと判断した家康は、大軍を率いて会津の上杉征伐に向かいます。

徳川軍が下野国小山(栃木県)に駐留しているとき、恐れていた報せが届きました。

石田三成挙兵。

これに応じて数多くの有力大名が、続々と三成のいる大阪へ集まります。

家康は、知らないうちに逆臣に仕立て上げられてしまったようでした。

そこへ大阪城の茶々から三成を何とかして欲しいというような書状が届きます。

つまり、家康を倒すために集まった大軍がいる大阪に戻って来いという話で、おそらく三成に家康を討たせるための罠でしょう。

家康も家臣一同も、かつてない大戦の予感に声を失っていました。

第42話「天下分け目」はこの続きから始まります。

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会津討伐中止、西へ

石田三成挙兵の一報に続き、徳川本陣には事態の深刻さを伝える報せが次々と舞い込んできました。

家康を断罪する書状が諸国に回り、大阪はすでに乗っ取られたようです。

このままでは西国の有力大名のほとんどが、三成側につくかもしれません。

まさか三成がこれほどの大軍勢をまとめあげるとは思わず、徳川勢は意気消沈しました。

正信:「これで前田利長、小早川秀秋あたりが敵に回ればもうお手上げ。為す術はありませんな。」

家康:「徳川家康、天下を治むる能わず...多くの者がそう申しておる...民の声、天の声かもしれぬな...」

家康の口からもつい弱音がこぼれました。

大阪城の阿茶や、伏見城の彦右衛門のことも気にかかります。

そこへ阿茶からの書状が届きました。

「京は大乱の様相を呈しているが、阿茶は寧々に助けられた」と書いてあります。

家康:「...ありがたいことじゃ」

家臣一同の士気が上がります。

平八郎:「これに勝てば、殿はまことの意味で天下を手にすることが出来る...今こそ生きるか死ぬかの大博打を打つにほかならず!

平八郎が家康の目をしっかりと見据えて告げました。

家康は、上杉討伐を中止し、西に向うことに決めました。

しかし、今、徳川の陣中にいる豊臣譜代の武将たちがどう出るか、それが問題でした。

さらに信濃の真田の動きも気になります。

正信:「殿、それがしにおまかせを。」

正信は、武将たちの誰か一人を褒美をちらつかせて抱き込むと言います。

正信:「殿は、皆を一つにしてくだされ。」

その夜遅く、平八郎の娘婿にあたる真田信幸がやってきました。

信幸は徳川方に味方するといいますが、父の真田昌幸と弟の真田信繁は、途中で信濃に引き返したとのこと。

信幸:「三成につくものと存じます...申し訳ござらぬ!」

真田と上杉が手を結んだら、徳川勢は取り囲まれてしまいます

結城秀康:「上杉のことは、この秀康が引き受けまする!」

頼もしい息子は、そう凛然と言い放ち、急いで自陣に戻って行きました。

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厭離穢土欣求浄土

翌日、家康は豊臣の武将たちを本陣に招集して軍議を開きました。

福島正則:「もしわしについてくるなら、皆に着せられた逆賊の汚名を晴らして見せる!ともに新たな世を作ろうぞ!」

本多正信の調略に応じた福島正則が真っ先に声をあげます。

正則:「おい、みんな!三成に天下を治められると思うか?出来るのは内府殿(※家康のこと)だけじゃ!」

山内一豊:「この山内一豊、内府殿とともに戦いまする!」

山内は自身の居城まで差し出すと言い始めました。

その後、もともと三成と仲の悪かった武将たちが、我も我もと次々に手を上げます。

家康は各武将たちに下知を送ります。

初陣となる息子・秀忠には、3万の兵を預け、本多正信と小平太(榊原康政)をつけて信濃の真田征伐に向かわせました。

家康:「石田三成より天下を取り戻す!皆の者、とりかかれ!」

一同が出ていった後、七之助(平岩親吉)が一人残ってしみじみと家康を見つめていました。

七之助:「ようやく来たんじゃ...」

家康の長男・松平信康の守り役だった七之助は、瀬名と信康を守りきれなかったことを悔やみ続け、このときが来るのをずっと待ち望んでいました。

七之助:「厭離穢土欣求浄土!...この世を浄土にいたしましょう!」

徳川ののぼり旗が、風に力強くはためきます。

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三成出陣

一方、その頃、大阪城の本丸では...

三成:「家康、動き出しました。こちらの思惑どおりでございます。

三成が茶々と秀頼の前にひざまずき、そう報告しました。

三成:「これより石田三成、出陣いたします。必ずや秀頼様に勝利をお届けいたしまする。」

茶々が三成の耳元でささやきます。

茶々:「...秀頼を戦場に出す用意はある。必ず家康の首をとれ」

総大将となった毛利輝元にあとを任せ、三成は大阪城から出陣して行きました。

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調略戦開始

道中、一旦江戸城に戻った家康のもとに、伏見城が落ちたとの知らせが入ります。

彦右衛門は家臣一同とともに最後まで見事に戦い抜き、城を枕に討ち死に、側室の千代も夫に殉じたとのことでした。

家康:「...わかった」

この戦、家康と三成、どちらがより多くの味方をつけるかで決まる言っても過言ではありません。

家康:「腕が折れるまで書くぞ...彦のためにもな」

怒りも涙も飲み込んで、連日連夜、家康は各地の諸大名へ援軍を求める書状を猛然と書き続けました。

一方、美濃の大垣城で徳川軍を迎え撃つ用意を整えていた三成も、同じく諸大名へ家康を糾弾する書状を書き続けていました。

双方合わせて数百通の書状が全国を飛び交う、熾烈な調略が行われていました。

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真田の罠

徳川勢の先陣を務める井伊直政、平八郎、福島正則らは怒涛の勢いで三成たちに迫っていました。

織田信長の孫で三成方についていた織田秀信(※清州会議で信長の後継者と決められた三法師)の岐阜城をわずか一日で落とした福島は得意満面です。

平八郎:「...張り切り過ぎだ、早すぎる。」

三成の主力が守りを固める大垣城は、もう目の前にありました。

このまま家康と秀忠の本軍なしでの決戦になれば、勝ち目はありません。

このとき江戸城にいた家康も同様の心配をしていました。

家康:「だがこれで、福島、黒田が徳川とともに戦うと世に知らしめる事ができた。我らも出るぞ!」

秀忠には真田を無視して西へ急ぐように使者を送りました。

ところが、信濃に布陣していた秀忠のもとに、敵将の真田昌幸からあっさり降伏状が届きます。

秀忠:「父上に任された役目をしかと果たしたぞ!」

秀忠は単純に喜んでいますが、同行していた正信と小平太はいぶかしげに顔を見合わせました。

直ちに上田城を明け渡して参じるように伝えるも、真田は城から一向に出てきません。

しばらくしてようやく気づきます。

この降伏は偽りでした。

正信:「真田は表裏比興の者、勝つためにはどんな手段も使います。」

秀忠は顔面蒼白になりました。

信幸:「...もう一度説き聞かせて参ります!」

交渉役で徳川方についた真田昌幸の長男・真田信幸がもう一度説得を試みます。

しかし、それを見送る正信と小平太の目は疑念に満ちていました。

正信:「いかにも真田親子らしいやり方よ」

真田は敵味方に分かれ、どちらかは生き残るという目論見でした。

そして、真田の籠城の狙いは、秀忠をここに足止めすることでした。

真田の忍びから妨害を受けた家康の使者が秀忠の陣に到着したのは、家康が「美濃(岐阜県)へ到着するように」と決めた期限の前日でした。

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天下分け目の決戦へ

美濃・赤坂の陣所で平八郎に迎えられた家康は、秀忠たちがまだ信濃にいると聞いて顔色を変えました。

平八郎:「まんまと三成と真田にしてやられたようですな。」

三成側の西軍の本拠地である大垣城は、東軍の家康の陣地からわずか一里(約4km)のところにあります。

家康:「おそらく治部の狙いは、ここに誘い出すことじゃろう。」

家康が指さした地図の場所は「関ケ原」でした。

家康:「治部よ...これは天下分け目の大戦じゃ!」


第43話に続きます。

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