どうする家康ネタバレとあらすじ 第41話「逆襲の三成」

どうする家康ネタバレとあらすじ 第41話(会津征伐) 映画・ドラマ
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NHK大河ドラマ「どうする家康」の第41話「逆襲の三成」のネタバレとあらすじをご紹介します。

この記事には大河ドラマの内容のネタバレが含まれています。

事前に内容を知りたくない方は、適宜読み飛ばしてください。

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どうする家康ネタバレとあらすじ 第41話「逆襲の三成」

10月29日放送予定の「どうする家康」第41話「逆襲の三成」の内容です。

前回の第40話「天下人家康」で、石田三成ら五奉行、徳川家康ら五大老、この十人衆による政を成功させようと三成は大変に意気込みます。

しかし、今や一番官位も高く、領地も広い家康のことを、他の大名たちが警戒し始めます。

加えて朝鮮出兵から加藤清正・福島正則ら諸将が戻ってきます。

彼らは昔から三成と折り合いが悪く、朝鮮出兵のことについても三成に不満を持ち、三成と対立します。

こうして段々と十人衆による話し合いの政がうまく機能しなくなり始めました。

それならばいっそ自分が中心に立つと提案した家康でしたが、三成はそれに不信感を覚え、ついに対立してしまいます。

ブレーキ役となっていた前田利家が亡くなると、怒りが爆発した加藤・福島らの諸将が三成を襲撃する事件が起きます。

三成は命は助かったものの、政務からは身を引き、隠居することになりました。

三成が去った後、覚悟を決めた家康は、自身が中心となって政を行い始めます。

第41話「逆襲の三成」はこの続きから始まります。

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家康への不満

秀吉の遺言のもと、五大老・五奉行による政を推し進めた石田三成は失脚。

大阪城には秀吉の子・豊臣秀頼がいましたが、世間は徳川家康こそが天下人であるとみなすようになっていました。

家康は大阪城で政務をとっていましたが、まだまだ天下静謐には程遠い状況でした。

ある日、豊臣家に縁が深い数人の者が、家康を暗殺しようとしていたことが発覚します。

その首謀者は、五大老・前田利家の嫡男で、その跡を継いだ前田利長でした。

家康:「前田殿の父上には世話になったというのに...残念なことよ」

家康はこの暗殺未遂に関与した者たちを処罰しましたが、この事件は氷山の一角で、他の大老や奉行たちも油断なりません。

特に気がかりなのは、佐和山城で隠居生活を送る石田三成です。

大谷吉継:「わだかまりは捨てたようで、実に穏やかに暮らしております。」

三成の長年の友である大谷吉継が家康に報告しました。

家康:「よかった...まことによかった。」

三成を心配していた家康は、ひとまず胸をなでおろしました。

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不穏な動き

1600年の春。

五大老の一人、上杉景勝に不穏な動きありとの訴えが届きました。

秀吉に降伏したあと、越後から会津に国替えとなった上杉は、国作りに専念したいということで帰国を許されていました。

橋や道、河川を整え、新たな城を築いているとの報告が入ります。

牢人や武具を集めているという噂も本多正信の耳に入っていました。

直政:「越後を取り返そうとしていると、皆恐れております。」

平八郎:「...戦の支度をしているという疑いをかけるには十分かと。」

直政と平八郎はもともと家康を嫌っていた上杉を警戒しているようでしたが、家康としては、武力行使はなんとしても避けたいと思っていました。

家康:「相手は大老、慎重に進めよう。」

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南蛮船の漂着

この頃、豊後国臼杵(大分県)にオランダ船リーフデ号が漂着するという出来事がありました。

2年前オランダを出発したこの船は、過酷な航海を乗り越え、100人以上いた船員を24人まで減らしながらも日の本に到達したとのことです。

日本にいたイエズス会のポルトガル人宣教師たちは、「リーフデ号は海賊船であるから、乗組員をすぐに処刑すべきである」と訴えてきました。

家康は数人の乗組員を大阪城に呼び出して引見します。

その中の一人、航海長のイギリス人であるウィリアム・アダムスが事情を説明します。

リーフデ号は東洋との交易が目的だったそうで、彼らは海賊ではありません。

ポルトガル人の宣教師がしつこく処刑を求めたのは、カトリックとプロテスタントという2つの宗派が紛争中のためだからということが判明しました。

事情がわかると、家康はアダムスに質問をあびせ、夜が更けるまで語り合いました。

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上杉との決裂

一方、上杉は再三に渡る上洛の要求を無視し続けています。

これを知った茶々は、秀吉がしたように家康も力で日の本をまとめたらどうかと言ってきます。

しかし、上杉ほどの大物を相手に戦をしかければ、天下を揺るがす大戦になりかねません。

なんとか戦を避けたい家康は最後通牒を送りますが、上杉景勝の家臣・直江兼続から、家康を侮辱し、戦をけしかけているようにしか思えないような書状が届きます。

正信:「上杉は、自分が挙兵すれば後に続く者が出てくると踏んでいるのでしょう。」

家康:「天下の大軍勢で取り囲み、速やかに降伏させる...戦いを避けるにはそれしかない。」

大軍勢を動かすためには、家康自らが出陣する必要があります。

家康が京都・大阪を離れるとなると、そこを狙って三成らが兵を挙げてもおかしくありません。

家康が留守の間、上方を任せられるのは、信頼のおける彦右衛門(鳥居元忠)の他にいませんでした。

彦右衛門:「わしゃ、挙兵してえ奴はすりゃあええと思うとります。」

上方は徳川一の忠臣・鳥居元忠が命に代えても守って見せると胸を叩きます。

彦右衛門:「殿、宿願を遂げるときでございますぞ...戦なき世を...成し遂げてくださいませ!」

家康:「...彦...任せた...」

固い絆で結ばれた2人の目には、涙が浮かんでいました。

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会津征伐開始

茶々:「この戦、天下の大乱につながるようなことはなかろうな?」

会津征伐の報告に来た家康に、茶々がふてぶてしく問います。

家康:「無論のこと。そうならぬため、秀頼様の世を安寧なものとするための戦にございます。」

茶々が秀頼に目配せをします。

秀頼:「会津上杉の成敗を認める。励むがよい。」

家康:「はは!」

...家康に気づかれないように、茶々はこっそりほくそ笑みました。

戦の準備が進み、伏見城に会津遠征軍が集結します。

結城秀康:「父上、お待ちしておりました。」

立派な若者に成長した家康の次男・結城秀康が家康を向かえます。

そうそうたる武将がそろった遠征軍のなかに、病をわずらい頭巾をかぶった大谷吉継の姿もありました。

家康が吉継を気遣うと、吉継は石田三成の三男を陣に加える許しを請うてきます。

家康:「それは結構なこと。わしはな、この戦が終わったら、治部(三成)には政務に戻って欲しいと思うておる。」

その時、ざわめきが起こって人だかりが割れました。

本多忠勝、榊原康政、井伊直政、鳥居元忠、渡辺守綱らの徳川勢がこぞってやってきたのです。

家康:「...またこうしてお前たちと戦場に出る日が来ようとはな...」

主従は感慨深く見つめ合いました。

そして、最後の大暴れとばかりに徳川家臣団は気勢をあげます。

翌日、伏見城を出発した遠征軍は、約2週間後に江戸城に到着しました。

ここで徳川秀忠、平岩親吉(七之助)らが加わり、会津へ向けて進軍を開始しました。

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大戦の予感

石田三成、挙兵。

会津へ向かう道中で、恐れていた報せが入ります。

三成の挙兵に、毛利・宇喜多ら五大老を始めとする多くの大名が呼応し、続々と大阪へ兵が集まっていました。

その中には、伏見城で遠征軍として会ったはずの大谷吉継の姿もありました。

大阪の状況を知った家康は、呆然とつぶやきました。

家康:「わしは逆臣に仕立て上げられたか...

わずか一月足らずの間に何かが起きたのです。

そこへ、大阪城の茶々から書状が届きます。

「三成が怖くてたまらないからなんとかしてほしい」

そのようなことが書いてありました。

かつてない大戦の予感に、家康も家臣一同も、ただ声を失っていました。


第42話に続きます。

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