NHK大河ドラマ「どうする家康」の第33話「裏切り者」のネタバレとあらすじをご紹介します。
この記事には大河ドラマの内容のネタバレが含まれています。
事前に内容を知りたくない方は、適宜読み飛ばしてください。
どうする家康ネタバレとあらすじ 第33話「裏切り者」
8月27日放送予定の「どうする家康」第33話「裏切り者」の内容です。
前回の第32話では、小牧・長久手の戦いが描かれました。
奇襲を用いて家康をおびき出そうとする秀吉軍。
しかし、その奇襲はすでに本多正信に見抜かれていました。
家康は、裏をかいて秀吉軍の別働隊を撃破。
池田恒興、森長可ら、かつての織田家重臣を討ち取りました。
大喜びする織田信雄を尻目に、怒りに震えた秀吉軍の妙な気配を察知した石川数正が家康に進言します。
数正:「…嫌な胸騒ぎがいたします。」
それを聞いた信雄が意にも介さず受かれ騒ぐのを見て、家康は言いしれぬ不安を覚えます。
第33話「裏切り者」はこの続きから始まります。
戦に勝って勝負に負ける
家康と数正の不安は的中します。
秀吉は、標的を総大将・織田信雄ただ1人にしぼり、その家臣を調略したうえ、信雄の城を次々と落としていきました。
信雄は耐えきれず、所領安堵と引き換えにあっという間に秀吉に下ります。
家康:「…秀吉に跪けとおおせじゃ…」
信雄からの手紙を手に、家康は怒りに震えていました。
家康は信雄のためにすべてをかけて秀吉と対立しました。
それなのに信雄は、なんの相談もなく勝手に和睦したあげく、「秀吉に服従せよ」と手のひらを返したのです。
しかも、徳川軍は「小牧・長久手の戦い」で秀吉軍に大勝利を収めたばかり。
家臣からは「北条と組み、このまま戦を続行すべし」という意見も出ました。
しかし、総大将の信雄が和睦してしまった以上、戦を続ける大義名分がありません。
本多正信:「ひとまずは、形のうえだけでも和議を結んで、秀吉の出方を見ましょう。」
正信の意見を取り入れた家康は、数正を使者として秀吉に和議を申し入れました。
家康:「皆の者、この和議は敵を欺くかりそめのものじゃ。われらが秀吉に屈することは決して無い!」
次の戦に備えるよう、家康は家臣一同に奮起を促します。
和議の条件
秀吉は、「家康の男児を1人、自分の養子としたい」と和議の条件を出して来ました。
つまりハッキリ言うと、「人質を出せ」ということです。
井伊直政:「なにゆえそのような取り決めを交わして参られたか!殿のお子様を人質に取るとは無礼千万!」
数正の報告を聞いた直政が、烈火の如く怒ります。
小平太や平八郎も、直政とともに数正を非難しました。
「数正を責めるのはお門違いじゃ」と左衛門尉がかばいます。
家康:「…しばし考える。今日はこれまでじゃ。」
家康は即断を避けました。
皆が去った後、数正は家康と左衛門尉だけに「あるもの」を見せました。
それは、秀吉から届いたという「金塊の詰まった箱」です。
秀吉は数正を調略しようとしたようです。
家康:「まこと、何でも欲しがる男よ…」
家康は、金塊を送り返そうとした数正を止め、このまま秀吉の懐に入って情報を伝えるように命じます。
左衛門尉:「して、殿。男児の件、いかが致しましょう?」
人質をどうするか、左衛門尉が伺いを立てます。
於愛が産んだ2人の男児、長丸と福松は、あまりに幼いということで、候補から外されます。
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白羽の矢がたったのは、かつて瀬名の侍女だった「お万」が産んだ「於義丸(おぎまる・後の結城秀康)」でした。
家康:「…大きくなったな、於義丸」
家康は胸を痛めながら言いました。
これまでほとんど対面することがなかった息子を、いきなり人質に出そうとしているのですから当然です。
於義丸:「ご両家のお役に立てるは、至上の喜びにございます!」
一方で利発な少年に育っていた於義丸とその母・お万は、武家の妻子として覚悟を決めていました。
こうして、於義丸は羽柴秀吉の養子として送り出されます。
このとき、数正の申出により、数正の次男・勝千代(かつちよ・後の石川康勝)が於義丸に付き従うことになりました。
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関白・秀吉
翌年、家康にとって驚天動地の出来事が起きました。
秀吉が公家の最高位・関白に任命されたのです。
数正:「殿に挨拶に参るようにと…」
秀吉からの書状を手に、数正が伝えます。
家康は直接出向くことなく、数正に代わりを任せて大坂に向かわせました。
第一次上田合戦
家康が秀吉に勝つには、関東に大きな勢力をもつ「北条」と力を合わせることが必須でした。
ただし、そのためには1つ難題を乗り越えなければなりません。
七之助:「真田…ですな…」
旧武田領を北条と取り合った際、家康は「沼田」を北条に明け渡す約束で北条と和議を結びました。
その「沼田」は、直前に臣従してきた真田昌幸の領地であったため、昌幸は怒って徳川と手を切り、越後の上杉と結んで領地を守っています。
つまり、「『仲良くなりたい北条』との約束が自分の元部下の反発によって守られていない」という状況でした。
こうなれば、もはや力ずくで真田を排除するしかありません。
家康の命令で、大久保忠世や鳥居彦右衛門らが真田の本拠・上田城を攻めます。
8000近い徳川軍に対して、真田軍は2000ほど。
4倍の兵力で上田城を攻めますが、徳川軍は真田の権謀術数に翻弄され、2ヶ月経っても城は落ちません。
そうしたなか、「真田と秀吉が結んだ」というあやしいウワサが広まります。
家康はやむなく、兵を引き揚げるよう命令を下しました。
激震
前方に秀吉、後方に真田。
家康は追い詰められていました。
家康:「…秀吉はさらなる人質を求めておる。」
家康が真田と戦っている間、秀吉はあっという間に四国と北国を平定し、次々に「国替え」の采配を行っていました。
今、秀吉に屈すれば、徳川も同じく遠方の地に飛ばされることでしょう。
家康:「秀吉の天下は必ず崩れる。それまで耐え忍び、じわじわと調略を進める。」
この家康の決断にほとんどの家臣は同意します。
ただ1人。
数正:「秀吉のもとへ、参上なさってはいかがでしょう?」
秀吉との交渉係として何度も大坂へ足を運んでいた石川数正だけは、もはや秀吉の天下が崩れないことを確信していました。
この言葉を聞き、平八郎は激しく反発。
直政は「謀反だ」とまで口にします。
左衛門尉たち古参の者が慌ててとりなしましたが、この言葉には家康も反応します。
家康:「わしは秀吉におよばぬ、そう言いたいのか?」
「化け物のごとき秀吉には家康は敵わぬ、臣下に入るべきだ…」数正は正直に答えます。
思えば家康の今があるのは、幼い頃から間違いを厳しく諌め続けてきてくれた数正のおかげとも言えます。
その数正が覚悟のうえで「秀吉に降れ」と諫言してくれているのです。
しかし、このときは、家康も自分の意見が間違っているとは思えませんでした。
家康は心を尽くして数正を説得します。
数正:「危うく忘れるところでござった…殿を天下人にすることこそわが夢であると」
数正は覚悟を決めて、「もうひとたび老体に鞭打って大暴れする!」と皆の前で宣言しました。
数正:「羽柴秀吉、何する者ぞ!われらの国を守り抜き、われらの殿を天下人にしようぞ!」
一同は大喜びし、家康も数正の言葉に嬉し泣きしました。
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「関白殿下是天下人也」(※関白殿下(=秀吉のこと)こそが天下人である)
その書き置きと、いびつな木彫りの仏を残し、石川数正が岡崎から出奔したのは、その数日後のことでした。
第34話に続きます。
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