NHK大河ドラマ「どうする家康」の第32話「小牧・長久手の激闘」のネタバレとあらすじをご紹介します。
この記事には大河ドラマの内容のネタバレが含まれています。
事前に内容を知りたくない方は、適宜読み飛ばしてください。
どうする家康ネタバレとあらすじ 第32話「小牧・長久手の激闘」
8月27日放送予定の「どうする家康」第32話「小牧・長久手の激闘」の内容です。
前回の第31話「史上最大の決戦」では、家康が「織田信長の後継者となった羽柴秀吉」と対立していく様子が描かれます。
秀吉に利用された織田信長の次男・織田信雄から「天下を取り返してくれ」と嘆願された家康は、織田を秀吉と対立する道を選びます。
秀吉に知られずに各地の大名を調略し、四方から囲んで秀吉の力を分散させ、力を削る作戦に出ます。
しかし、味方になったはずの池田恒興が突如として寝返り、この計画は破綻。
事態は秀吉と家康との直接対決へ動きます。
状況が変わって慌てふためく織田信雄を、家康が叱りつけます。
家康:「総大将がうろたえるな!信長の息子じゃろう、しっかりせい!」
以前とは違って、家康はすっかり頼もしくなっていました。
左衛門尉がそんな家康の様子をみて、後顧の憂いなく、ここを死に場所として出陣します。
しかし、みごと敵軍を撃破。
秀吉をこの戦場に引っ張り出すため、左衛門尉に続いて徳川軍は前進します。
…家康たちの策は功を奏し、秀吉の大軍は犬山城に入ります。
そこからわずか3里(約11km)の小牧山城に家康軍は本陣を置きました。
豊臣秀吉と徳川家康が真正面からぶつかった唯一の戦、「小牧・長久手の戦い」の開戦がすぐそこに近づいています。
第32話「小牧・長久手の激闘」はこの続きから始まります。
徳川家康VS豊臣秀吉
秀吉軍は、10万とも言われる大軍勢で楽田城に陣を敷きます。
対する家康は、かつて信長が心血を注いで作った小牧山城に、堀や砦を増やすなど工夫をこらして決戦に備えていました。
数日間、両軍はにらみ合ったまま動きません。
織田信雄:「徳川殿、あんな大軍勢にどうやって勝つんじゃ?」
総大将の織田信雄は、いまだに秀吉軍に怯えています。
その様子を見て取った左衛門尉が、「要害堅固の小牧山城が落とされることはまずない」と、信雄を勇気づけます。
石川数正が「戦が長引けば秀吉も焦り、有利な条件で和議を結べるだろう」と言うと、平八郎は「和議など弱気だ」と闘志をみなぎらせます。
小平太と、武田の赤備えを継いだ万千代改め「井伊直政(いいなおまさ)」も平八郎に同意します。
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家康:「しかし、秀吉もさるもの、あれだけの大軍を手なづけておる、下手に動いてこんじゃろ。」
若手に弱気だと言われて黙り込んでいる数正を気遣い、家康がやんわりととりなします。
そこで本多正信が少し考え、言いました。
正信:「…焚きつけてみますか」
秀吉軍の策略
小牧場の背後には三河国があります。
絶えず兵糧を運び入れることができる徳川勢は、いつまででも籠城を続ける構えを取ります。
そのころ、秀吉の楽田城では、重臣たちによる戦略が練られていました。
そこへ、池田恒興(いけだつねおき)と森長可(もりながよし)の2人織田家家臣が入ってきます。
池田恒興:「筑前(※秀吉のこと)、こんなもんがあちこちに」
家来たちが大量の立て札を秀吉に見せます。
その立て札には、「秀吉は野人の子で、信長の恩を忘れた者だ」というような罵詈雑言が書いてありました。
しかも、家康の家臣・榊原康政(※小平太のこと)の署名があります。
それはまさしく、秀吉を激怒させ、ミスを誘う家康の作戦でした。
秀吉:「…家康は、この卑しき野人の子にひざまずくんだわ」
秀吉は怒りを押さえ、顔をひきつらせてそう言いました。
その翌日、徳川の兵が新しい堀を作り始めます。
指示していたのは、例の立て札に署名した小平太でした。
福島正則:「なおも守りを固めるとは、肝の小さい奴らよ!殿、もはや小牧山城、力攻めするしかないかと」
秀吉の子飼い大名・福島正則が進言しますが、秀吉は慎重です。
秀吉:「…無駄に兵を失うのは、うまくねえわ」
その秀吉に、池田恒興・森長可の(義理の)親子2人が策を持ちかけて来ました。
- 池田・森の軍勢が小牧山城を回り込んで家康の本拠地・岡崎に向かう。
- 家康は岡崎を見捨てることができず、小牧山城をでて追いかけてくるはず。
- そこをすかさず秀吉の本軍が背後から突き、挟み撃ちにする。
秀長:「つまり、中入りですな!」
「中入り」と呼ばれるこの作戦は、信長が好んで使っていた戦法です。
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秀吉もこの戦法を考えてはいましたが、そうすると本軍の兵力を減らしてしまいます。
しかも、秀吉軍は統率が取れているとは言い難い状況でした。
秀吉は、あまり気が進まなかったものの、他に有効な策もないため、この戦法で家康に勝負をかけることに決めました。
一枚上手の徳川勢
ついに秀吉軍が動き出します。
左衛門尉:「およそ3万、さあ出てこいと言わんばかりに悠々と東へ進んでおります。」
数正:「間違いなく、中入り(※一部の兵を用いての奇襲)でござる」
家康:「…案の定じゃな」
報告を受けた家康は、やや緊張しながらうなずきました。
秀吉軍が仕掛けてきたこの奇襲を、今や家康の懐刀となった本多正信は見抜いていました。
ただし、岡崎が狙われているとなれば、罠だと分かっていても城を出ないわけにはいきません。
そうして秀吉の大軍勢と戦うことになれば、「三方ヶ原」の二の舞いです。
なんとか秀吉に気づかれずに中入り勢(※秀吉軍の別働隊)をたたく術はないものか…
…その奇策を思いついたのは小平太(榊原康政)でした。
「無謀な若者」だった彼は、今や「知勇兼ね備えた立派な武将」に成長していました。
家康:「皆の者よ…長くともに戦ってきたわが仲間たちよ!今こそ天下をわれらの手につかむ時ぞ!」
一回りも二回りも大きくなった主君を、左衛門尉と数正が頼もしそうに見守ります。
こうして、徳川勢は出陣しました。
「中入り」失敗
秀吉軍伝令:「申し上げます!中入り勢、長久手にて徳川勢に襲われましてございます!」
出陣前の腹ごしらえをしていた秀吉たちは、寝耳に水の報告を受け、仰天しました。
「ネズミ一匹見逃すな」…そう指示して家康を見張らせていたはずなのに、なぜ気づかなかったのか…
秀吉:「…堀ではねえ」
家康の真意に気づいた秀吉は、怒りに震えました。
ここ数日、徳川兵が掘っていたのは、城を守るための堀ではなく、密かに打って出るための抜け道だったのです。
秀吉は急いで出陣します。
が、時既に遅く、中入り勢は総崩れ。
池田恒興と森長可は討ち死にしてしまいます。
秀吉も兵を退かざるを得ませんでした。
嫌な予感
その日の夕方、小牧山城では大きな勝どきが上がりました。
信雄:「徳川殿、まことによくやってくれた!これで秀吉に勝てる!我らの天下じゃ!」
織田信雄が家康の手を握りしめて大喜びします。
家臣たちも各々喜んでいますが、石川数正だけは油断のない顔つきで、秀吉の楽田城を見つめていました。
数正:「…嫌な胸騒ぎがします…」
信雄:「結構、結構、わが天下じゃ!」
…酔っ払って浮かれ騒ぐ総大将に、家康は不安を覚えました。
第33話に続きます。