大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の第3代将軍・源実朝の妻として「千世(ちよ)」という人物が登場します。
後鳥羽上皇のいとこに当たる人物で、史実では西八条禅尼(にしはちじょうぜんに)と呼ばれています。
彼女の生涯を簡単に紹介します。
千世(西八条禅尼)とは?
千世(西八条禅尼)は、鎌倉幕府第3代将軍・源実朝の正室です。
父は公卿の坊門信清(ぼうもんのぶきよ)という人物です。
この坊門信清の姉(千世にとって伯母さん)は「高倉天皇」の妻であり、後鳥羽上皇の母です。
つまり、千世と後鳥羽上皇は「いとこ同士」にあたります。
簡単な関係図で示すとこんな感じです。
「源実朝」の名前を命名したのは史実でも後鳥羽上皇とされています。
さらに後鳥羽上皇のいとこを実朝の妻としていることからも、朝廷は鎌倉(幕府)との結びつきを重視していたことが伺えます。
源実朝暗殺後の千世の動向
千世(西八条禅尼)は、12歳の時に鎌倉の第3代将軍・源実朝に嫁ぎます。
このとき源実朝は13歳。
年も近く、夫婦仲も良かったと伝わります。
2人が結婚してから15年後、鶴岡八幡宮参拝時に源実朝は甥で猶子(養子)の公暁(くぎょう/こうぎょう)に暗殺されてしまいます。
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源実朝と千世(西八条禅尼)の間には子供がいませんでした。
実朝は側室を置いていなかった(もしくは側室はいたけど子供が出来なかった)ようで、源実朝の暗殺とその犯人・公暁の討伐によって源頼朝の血筋は断絶してしまいます。
千世は、実朝が暗殺された翌日に出家します。
そして、故郷の京へ帰っていきました。
京の地で夫・実朝の菩提を弔うため「遍照心院」という寺を建てます。
遍照心院は「大通寺(だいつうじ)」となって現存しています。
(「源実朝の像」などが安置されています。著作権の関係から写真を載せることができませんので気になった方は公式サイトから御覧ください。→大通寺公式サイト)
その後の千世の動向は詳しくはわかっていませんが、承久の乱で兄の「坊門忠信(ぼうもんただのぶ)」と「坊門忠清(ぼうもんただきよ)」が朝廷方に味方して処罰される際に助命嘆願を行ったとされています。
この助命嘆願によって兄たちは、死罪を免れています。
その後の千世に関する記録は見当たらず、承久の乱から50数年後、1274年9月18日に82歳で亡くなったとされています。