どうする家康ネタバレとあらすじ 第44話「徳川幕府誕生」(江戸幕府創立)

どうする家康ネタバレとあらすじ 第44話(江戸幕府創立) 映画・ドラマ
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NHK大河ドラマ「どうする家康」の第44話「徳川幕府誕生」のネタバレとあらすじをご紹介します。

この記事には大河ドラマの内容のネタバレが含まれています。

事前に内容を知りたくない方は、適宜読み飛ばしてください。

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どうする家康ネタバレとあらすじ 第44話「徳川幕府誕生」

11月19日放送予定の「どうする家康」第44話「徳川幕府誕生」の内容です。

前回の第43話「関ヶ原の戦い」では、関ケ原の戦いが描かれました。

ーーー徳川、石田、両陣営は目と鼻の先まで近づいていました。

家康は秀忠の本軍到着を待たず、敵軍に豊臣秀頼が加わる前に決着をつけようと動き始めます。

三成は家康の作戦を読んでおり、家康率いる東軍をぐるりと取り囲むような布陣を敷くことに成功しました。

東軍の不利で始まった戦でしたが、小早川秀秋を始め、多くの西軍側の武将は家康に攻めかかるのをためらっていました。

これを見た家康は、冷静に三成や西軍諸将の心を見抜き、一気に進軍します。

思いがけない家康の進軍により、西軍は動揺します。

そして勝負の鍵となる小早川秀秋に決断を促すため、鉄砲隊に一斉に空砲を撃たせました。

家康の焚きつけで、ついに小早川は決断。

一気に山を下って西軍の大谷吉継の陣に襲いかかりました。

これがきっかけとなり、戦況は東軍有利に傾きます。

すると、西軍からは次々と寝返る者が出て、勝敗は一気に決しました。

天下分け目の大戦に勝利した家康は、戦いの数日後、戦場を離脱した石田三成を捕らえます。

近江の大津城で家康と対面した石田三成は、その後、京に移送され、六条河原にて処刑されました。

第44話「徳川幕府誕生」はこの続きから始まります。

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戦勝報告

関ヶ原の戦いに勝利した家康は、勢いそのままに、三成の佐和山城を始め敵の拠点を次々と制圧していきました。

一段落すると、戦勝報告のために秀忠とともに、豊臣秀頼のいる大阪城へ向かいました。

茶々:「逆賊・三成をようお討ちくださった。礼を申します。」

茶々がしらじらしく家康を労います。

秀頼:「重ね重ね大儀であった。」

豊臣の当主とはいえ、秀頼はこのときまだ7つ。

母である茶々が場を仕切り、家康と秀頼に杯を交わさせます。

茶々:「家康殿は、そなたの新たなる父と心得なさいませ。」

秀頼:「はい、頂きます父上」

それから茶々は、秀忠の娘である4歳の千姫と秀頼との婚儀を進めようと切り出してきました。

茶々:「両家が手を取り合うことが何より大事でありますからな。」

言葉とは裏腹に、退出する家康に向けられた茶々の視線は、刃のように鋭いものでした。

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徳川と豊臣の共存の道

秀忠:「いやあ、ようございましたな、父上」

素直に喜ぶ秀忠の横で、家康は浮かぬ顔をしています。

家康:「...早う人質をよこせと言っておるのじゃ

豊臣と徳川の間で微妙に保たれている均衡も、秀頼が成長するまでのあと十年ほどのことでしょう。

衝突することなく、共存していくには今後どう付き合っていけばいいのか...

家康が悩んでいると、胸中を察した本多正信が、思わぬことを言い出しました。

正信:「いかがでございましょう、いっそ将軍になるというのは?

足利家のせいで将軍職は廃れてしまってはいますが、幕府を開けば出来ることは格段に増えます。

家康:「徳川は武家の棟梁。豊臣はあくまで公家。...棲み分けられるかもしれんな。

正信の悪知恵のおかげで、新たな道が見えてきました。

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母との別れ

家康に招かれて上洛した於大(※家康の母)は、穏やかで楽しいひとときを過ごしていました。

於大:「天子様にまでお目通りできるなんて、夢のようだわ...もう思い残すことはなにもない。」

このとき於大は仏門に入り、伝通院(でんづういん)と号していました。

齢は74になっています。

家康:「左様なことは言わず、精をつけて長生きしてくだされ」

薬湯をつくってやりながら、家康は母をいたわります。

於大:「...もう捨てるでないぞ、そなたの大事なものを大切にしなされ。...ひとりぼっちにならぬようにな」

あれほど気丈だった母の目に浮かぶ涙に、家康は言葉もありませんでした。

3か月後、於大は満足したかのように、伏見城で家康に看取られながらその生涯を閉じました。

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江戸幕府の創立

1603年2月。

家康は朝廷より征夷大将軍の宣下を受け、ここに徳川幕府が始まりました。

念願であった太平の世の政を次々と進めていきます。

家康はさらに徳川の足元を盤石にするため、秀頼と千姫の婚姻も進めていました。

しかし、千姫は輿入れする日が近づくと、豊臣の家に行きたくないと泣きながら家康に訴えてきました。

千姫:「母上がいつも、茶々お姉様は怖い怖いと!何をお考えか分からぬと!」

※千姫の母・江は、茶々の妹にあたります。

江:「ホホホ!この子ったら!」

母の江はバツが悪そうに咳払いし、千姫をなだめます。

千姫:「...おじじ様のおそばにいとうございます...」

目の中に入れても痛くない孫娘の願いに対し、家康は心を鬼にして「徳川の姫としての心構え」を説きます。

家康:「何かあれば、このじじがすぐに駆けつけよう。」

千姫:「...まことでございますね?」

何度も振り返り念を押しながら去っていく千姫のいじらしい姿に、思わず泣きそうになってしまいます。

家康:「...涙もろくなるわ、体はあちこち痛いわ、年は取りたくないのう」

そばに控える阿茶につい愚痴をこぼします。

老いを感じていたのは、平八郎や小平太も同様でした。

2人よりも一回り以上若い井伊直政は、関ケ原の傷がもとで、前年にこの世を去っていました。

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終わっていない

年が明けて正月。

家康は平八郎、本多正純(本多正信の子)らと江戸城にやってきました。

秀忠:「お待ちしておりました!」

秀忠、正信、小平太、結城秀康らが出迎えます。

家康:「秀忠、しかとやっておるか?」

秀忠:「は!お千(※千姫のこと)は大丈夫でしょうか?」

「真っ先に聞くことが娘の心配か」と家康は秀忠をとがめます。

家康:「関ケ原に遅れたときから何も成長しておらんな。」

本来なら全軍を率いて来なければならないのに、秀忠は従者だけ引き連れて先を急ぎました。

そのことを家臣たちの前でこっぴどく叱りつけます。

秀忠:「正信も康政もそうしてよいと...」

家康:「人のせいにするな!すべてお前のせいじゃ!」

その日の夕方、小平太が「生涯最後の諫言」と家康に抗議しに来ました。

小平太:「皆の面前で、あのようにお叱りになるべきではござらぬ!秀忠様の誇りを傷つけることでございますぞ!」

関ケ原の合戦に間に合わなかったのは秀忠の落ち度では無いのに、家康の叱りようはあまりに理不尽であり、家康とて今の秀忠の年齢のころにはどれだけ頼りなかったか、と詰め寄ります。

家康:「...だが、わしにはお前たちがいた。」

左衛門督、石川数正、鳥居忠吉翁。

父がいない家康を、皆が厳しく叱り続けました。

しかし、秀忠のことをあのように叱ってくれるのは、家康以外にいません。

すべてにおいて経験不足の秀忠が成長するのを、悠長に待っているわけにはいきませんでした。

「関ヶ原」はまだ終わっていないからです。

家康:「あれは所詮、豊臣家中の仲違いの戦。それが鎮まり、再び1つになって秀頼様のもとに集まっておる。」

このまま秀頼が成長したとき、大人しく天下を豊臣に返してやるか、それとも...

家康:「...平八郎、隠居など認めぬぞ。小平太もまだ老いるな。」

戦乱の世には戻さぬーーー

そしてその後、太平の世を治めていけるのは、秀忠のような人間だと家康は考えていました。

上に立つ者の役目は、結果において己がすべての責めを負うこと...

翌日、家康は改めて秀忠を諭し、1年のうちに征夷大将軍の職を秀忠に譲る旨を伝えました。

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天下を継ぐのは...

翌年4月。

徳川秀忠は、第二代将軍に就任しました。

これは、「天下は徳川家が受け継いでいく」という宣言に他なりません。

秀頼の側近・大野治長(修理)は、約定破りだといきりたちます。

茶々:「図々しくも、秀頼にも挨拶に参れと言ってきおった。むろん、断ったわ。秀頼を行かせるくらいなら、秀頼を殺して私も死ぬとな」

茶々は激怒しました。

こうして潮が満ちるように、「その時」は近づこうとしていました。

そんな中、1606年に小平太が、1610年には平八郎が亡くなります。

家康にとって欠かせない存在であった2人は、戦のないあの世へと旅立ちました。


第45話に続きます。

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