お市の方の最期は?そもそもなぜ柴田勝家と結婚したの?

どうする家康ネタバレとあらすじ 第36話「於愛日記」 映画・ドラマ
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大河ドラマ「どうする家康」では、徳川家康とお市(演:北川景子さん・信長の妹)は幼馴染という設定です。

実際はちょっと無理がある設定ですが、お市は幼少のころ家康と会って恋心を抱いています。

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このお市の方は、大河ドラマ途中で退場することになるのですが、彼女の最期はどのようなものだったのでしょう?

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お市の方の最期

お市の方は自害して亡くなります。

お市の方は始め浅井長政と結婚しますが、長政は兄・織田信長と敵対し、滅ぼされます。

長政の居城・小谷城から助け出されたお市は、後年、織田家の重臣・柴田勝家と再婚します。

その柴田勝家が羽柴秀吉と対立。

勝家は戦いに敗れ、居城・北ノ庄城に籠もります。

切腹することを決めた勝家は、お市に逃げるように説得します。

しかし、お市はこれを拒否。

勝家と共に自決することを決めました。

お市と浅井長政の間の3人の娘は、このとき城外に逃されます。

その後、勝家とお市、家臣らは夜を徹して酒宴を催し、今生の別れをしました。

そして本能寺の変から1年も経たない1583年4月、勝家・お市と家臣らは自決。

お市の享年は37だとされています。

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そもそもなぜ柴田勝家と結婚したの?

お市の方は27歳の時、最初の夫である浅井長政を亡くしています。

その後、しばらく再婚をしませんでしたが、約10年後36歳で柴田勝家と再婚しています。

柴田勝家との結婚は、「清州会議」と呼ばれる本能寺の変の後の事後処理会議で決まりました。

このとき柴田勝家は53~61歳くらい(※生年がハッキリと分かっていないため)。

年齢差は結構あります。

清州会議で不利な決議となった柴田勝家の不満を和らげるため、勝家が昔から慕っていたお市の方との結婚を秀吉が画策したとも伝わります。

お市の方も、不穏な動きをする秀吉への押さえとして、当時の筆頭家老・柴田勝家の力が必要だったため、この結婚話を承諾したのではないかと思われます。

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お市の方と柴田勝家の仲は?

政略結婚で夫婦となったお市と柴田勝家の仲は良かったのでしょうか?

お市と前の夫である浅井長政との夫婦仲は良かったと伝わっています。

ですが、お市と柴田勝家の夫婦仲に関しては、史料がほぼ残っていないため不明です。

なにせ、結婚して1年もしないうちに2人とも亡くなっています。

ただ、お市の娘は柴田勝家に懐いていたようですし、お市は勝家とともに死ぬことを選んだわけなので、年の差はあれど仲はある程度良かったものと思われています。

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お市の方と柴田勝家の子供は?

前述のとおり、お市と柴田勝家は結婚して1年経たないうちに亡くなっています。

その短い夫婦生活の中で、残念ながら2人の間には子供ができませんでした。

柴田勝家はお市との間には子供ができませんでしたが、その代わりお市の連れ子である3人の娘を大層可愛がったと伝わります。

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柴田勝家は優しかった?

「鬼柴田」の異名をもつ柴田勝家ですが、戦場以外では意外と優しい面もあったようです。

賤ヶ岳の戦いで秀吉に敗れた勝家は、その戦いで離反した家臣たちに恨みごとを言うことはありませんでした。

そして、北ノ庄城までついてきた家臣には、一緒に最後の突撃をするのではなく、逃げて生き延びるように勧めています。

そんな柴田勝家を慕って、80人ほどが勝家とともに北ノ庄城で自害しています。

幼少のお市の娘にも懐かれていますし、人柄は温かかったのでしょう。

戦では無二の猛将でありながら、普段は家臣にも家族にも優しい兄貴分的な人物だったようです。

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まとめ

お市の方は、2人目の夫・柴田勝家とともに北ノ庄城で自害して亡くなりました。

政略結婚的な婚姻でしたが、夫婦仲は悪くなかったものと思われます。

2人とも結婚して1年にも満たない間に亡くなっているため、2人の間に子供は出来ませんでしたが、お市の連れ子である娘たちは意外と優しい柴田勝家に懐いていたようです。

なお、余談ですが、その後、お市の方の3人の娘は、歴史の表舞台に登場します。

長女・茶々は豊臣秀吉との間に豊臣秀頼をもうけ、二女・初は豊臣家と徳川家の仲を取り持ち、三女・江は徳川秀忠の妻となります。

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