大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に比企尼(ひきのあま)という人物が登場します。
草笛光子さんが演じる源頼朝の乳母です。
第32回「災いの種」のラストで彼女が登場し、幼い善哉(ぜんざい)に言葉をかけていなくなります。
この比企尼の最後はどうなったのでしょう?
比企尼(ひきのあま)の最期
比企尼の最期は完全に不明です。
比企尼がいつ亡くなったのか、どのような最期だったのかについて記された史料が全くありません。
彼女が最後に史料に出てくるのは、まだ源頼朝が征夷大将軍に就任する前の1187年のこと。
「源頼朝と北条政子が比企尼のもとを訪れ宴会を催した」ことが記されていて、その後の比企尼の動向は不明です。
(※そのあと、源範頼が謀反の罪で殺された際に、範頼の子供2人の助命嘆願をしたという話が範頼の子孫の家系に伝わっています。)
比企尼は生年も不明のため、「いつ頃亡くなったのか」を年齢をもとに推察することも難しいです。
そもそも「比企尼(ひきのあま)」という呼び名も、本名がわからないがゆえの呼び方です。(※比企氏の尼だから「比企尼」)
それくらいわかっていることが少ない人物です。
一応「源頼朝の乳母」でしたので、頼朝が生まれたときに比企尼が20代だったと仮定すると、「比企能員の変」が起きた時点では70代だったことになります。
当時は平均寿命が24歳と言われていますが、70歳を超える人もいました。
同時代では平清盛のひ孫にあたる四条貞子(しじょうさだこ)という貴族が、107歳まで生きたとされています。
ですので、大河ドラマのように「比企能員の変」を生き延び、そのあと善哉に接触した可能性もゼロではありません。
善哉(ぜんざい)に呪い?
第32回「災いの種」のラストシーンで、1人で遊ぶ善哉のもとに比企尼はボロボロの姿で現れます。
そして善哉に言葉を投げかけます。
「あなたこそが鎌倉殿となるべきお方。北条を決して許してはなりません。」
善哉の怯えた様子を心配した母親のつつじが近づくと、比企尼の姿はすでにありませんでした。
大河ドラマというよりは完全にホラーです。
北条の襲撃を生きて逃れてきたのか、もしくは既に亡くなっていて幽霊となって善哉の前に現れたのかすらわかりません。
ただ、これは後の善哉の運命を動かす「呪い」をかける演出だと言われています。
善哉のその後
「呪い」をかけられた善哉は、成長して公暁(くぎょう/こうぎょう)となります。
そして3代将軍・源実朝を暗殺します。
(関連記事:源実朝の暗殺事件)
この源実朝暗殺の際、公暁は北条義時の命も狙っています。
(※結果的には、北条義時ではなく「源仲章(みなもとなかあきら)」が人違いで殺されています。)
公暁は実朝を暗殺した後、自分が4代目鎌倉殿となるつもりだったようです。
比企一族と父・源頼家の恨みを受け継いで北条を滅ぼすつもりだったのかもしれません。
ですが、結果的に三浦義村の裏切りにより、公暁は実朝暗殺の直後に討ち取られてしまいました。
「源頼朝の死」と並んで鎌倉時代最大の謎と言われる「公暁による実朝暗殺事件」は、もしかすると「比企の呪い」が引き起こしたのかもしれません。