大河ドラマ「鎌倉殿の13人」にお笑いコンビ「ティモンディ」の高岸さんが演じる仁田忠常(にったただつね)という武将が登場します。
彼は、比企能員の変が起こったあと、ドラマから退場することになります。
仁田忠常の最期はどのようなものだったのでしょうか?
また、歴史に興味がある人なら気になっているかもしれませんが、鎌倉時代後期に登場するよく似た名前の新田義貞(にったよしさだ)は、仁田忠常となにか関係があるのでしょうか?
仁田忠常の最期は?
仁田忠常は、謀反の疑いをかけられて謀殺されます。
どういうことかというと、まず、仁田忠常は北条時政の命令により、比企能員を謀殺しました。
関連記事:比企能員の変
その直後に危篤状態から回復した第二代将軍・源頼家から、今度はその北条時政を討つように命じられます。
北条時政の命令で将軍・頼家の後ろ盾である比企能員を殺した直後に、今度はその比企能員が力添えをしていた頼家から北条時政を討てという命令を受けました。
両方の陣営から命令を受けて、「片方は実行済、片方はまだ」という状態です。
その状態のまま、比企能員を討ち取ったことの賞を受けるため、忠常は北条時政の館へ向かいます。
すると、忠常の帰りが遅いことを気にした部下たちが「忠常が謀反の疑いで討たれた」と早合点してしまいます。
部下たちは仇討ちのため、当時北条義時のいた将軍御所へ攻め込みました。
忠常はこのとき普通に酒宴に参加していただけですが、結果的に部下の早合点の攻撃により忠常本人にも謀反の疑いがかけられ、討たれてしまいました。
忠常が頼家の命令どおり北条時政を討とうとしていたのかどうかはわかりません。
ですが、そもそも謀反を起こす気があるのかどうかわからない状態で、部下が暴走してしまったうえで討ち取られたので、なんとも釈然としない可哀想な最期だったと言えます。
仁田忠常と新田義貞の関係
大河ドラマで鎌倉時代に注目が集まると、「仁田忠常」と後の室町幕府の功労者「新田義貞」になにか関係があるのではないかと疑問に思う人がたくさんいらっしゃるようです。
結論から言うと、仁田忠常と新田義貞は関係ありません。
新田義貞の先祖に「新田義重(にったよししげ)」という人物がいます。
この人が「新田氏」の祖と言われています。
新田義重は本来の名を「源義重」といい、源頼朝と同じく八幡太郎源義家の血を引いています。
つまり、新田氏は源氏の一派です。
対して仁田忠常は「工藤氏」の一流とされています。
とくに源氏の血筋ではありません。
さらに、新田義重は、仁田忠常と同じ時代に生きています。
2人が入れ替わるようなことがない限り、仁田忠常と新田義貞の間に関連性はないものと思われます。
曽我兄弟とは従兄弟との説も
仁田忠常は「曾我兄弟の仇討ち」と呼ばれる事件で、曾我兄弟の兄である「曾我祐成」を討ち取っています。
関連記事:曽我兄弟の仇討とは?
「曽我物語」という史料によると、仁田忠常と曽我兄弟は従兄弟(いとこ)だったとされています。
曽我物語は脚色が多いので信憑性があるのかと言われれば微妙ですが、もし本当に従兄弟ならば、仁田忠常は「親戚関係よりも頼朝との主従関係を優先した忠臣」と言えるのかもしれません。
仁田忠常がガンダムってどういうこと?
ここからは余談です。
仁田忠常は、阿野全成の妻・実衣を連行しようとした頼家の側近に対し、以下の装備で立ちはだかります。
気迫に圧倒された側近達はその場を離れました。
歴戦の勇者の貫禄で若者たちを退けたというシーンになっています。
この仁田忠常(ティモンディ高岸さん)が立ちはだかる姿を見て、「仁田忠常=ガンダ厶」だという声が上がりました。