「どうする家康」の伊賀越えで、家康は伊賀忍者に捕まります。
本多正信に助けられて事なきを得ましたが、大ピンチでした。
この時出てきた忍者の親玉・百地丹波(ももちたんば)とは何者で、実在したのでしょうか?
百地丹波は実在?
百地丹波は実在の人物です。
伊賀国(三重県)の土豪だったと言われています。
当時の伊賀国は、大名の支配が緩く、地侍による自治によって成り立っていました。
これは、力のある土豪の話し合いによって国が治められているということで、百地丹波はその中でも最も有力な土豪の1人だったようです。
織田家と伊賀国衆が戦った「天正伊賀の乱」では、百地丹波は忍者たちを指揮して一度は織田軍を敗走させました。
しかし、約3年後、本気になった織田信長が10万以上とも言われる大軍を率いて伊賀国を攻めます。
伊賀忍者といえども、さすがに10倍以上の敵には敵いませんでした。
百地丹波はこの戦で戦死したとも、逃げて生き延びたとも伝わります。
いずれにせよ彼に関する史料は少なく、謎の多い人物です。
百地三太夫とは?
百地丹波とよく似た百地三太夫という人物がいます。
百地三太夫とは、江戸時代に作られた小説などに登場する伊賀忍者です。
今日では、この百地三太夫と百地丹波は同一人物とみなされることが多く、三重県には「百地丹波の屋敷」として「百地三太夫屋敷」という名前の建物が存在します。
ですが、百地三太夫は架空の人物です。
百地丹波と同一人物とする根拠は特にありません。
ただ、百地丹波の百地家に伝わる伝承を取材して作られた小説が、百地三太夫の初出となっているため、モデルとなったのは百地丹波なのかもしれません。
百地丹波・百地三太夫の弟子は?
百地三太夫の弟子に有名な大泥棒・石川五右衛門がいます。
石川五右衛門は百地三太夫から忍術を習ったとされています。
三太夫は、孤児となった五右衛門を育てて忍術を叩き込みました。
しかし、成長した五右衛門は三太夫の妻を殺害し、金品を奪って逃走。
以降、盗みを繰り返します。
相当なワルです。
もちろん小説の話ですので、これはフィクションですが、石川五右衛門自体は実在の人物だとされています。
まとめ
伊賀忍者のリーダー格、百地丹波は実在の人物です。
しかし、彼自身が忍者だったのかどうかは不明で、小説に登場する石川五右衛門の師匠・百地三太夫とは別人物です。
謎の多い人物ですが、伊賀忍者を指揮して8000の織田勢を1500で撃退した手腕は相当なもので、その後10万人の軍隊に攻められながら生き延びた(かもしれない)ということからも、彼の能力の高さが伺えます。