「光る君へ」では、権力を握った藤原兼家が亡くなると、道長の兄である藤原道隆が関白となって実権を握ります。
道隆はやがて病に倒れますが、これはなんの病でその後どうなるのでしょうか?
藤原道隆の病気は何?
藤原道隆は糖尿病だったと言われています。
どうやらかなりの大酒飲みだったようです。
病に伏した道隆は、自身の嫡子・藤原伊周を後継者にしようと必死に動きます。
しかし、結局伊周が後継の関白になることはできませんでした。
しかもこの強引な引き立てがかえって周囲の反感を買うことになり、結果的に道長が政権を得るためのアシストをしてしまうという皮肉な結果に繋がりました。
藤原道隆の最期と死因は?
藤原道隆は、前記のとおり糖尿病を患っていたとされています。
その糖尿病が悪化して亡くなったと言われます。
その当時、天然痘が大流行し、貴族の中からも多数の死者がでました。
道隆の弟の道兼もこのときの天然痘で亡くなったとされています。
しかし、周りが疫病で亡くなっていく中、道隆だけが疫病とは関係なく、たまたま糖尿病で亡くなったと言われています。
藤原道隆の性格は?
道隆は朗らかであり、自由気ままな性格だったとされています。
それでいて気配りもできたようで、結構評判が良かったみたいです。
また、大酒飲みでもあり、酔って人前で烏帽子を外したり(※当時としてはかなり恥ずかしいこと)、亡くなる直前には「先に亡くなった飲み仲間と極楽で会える」と喜んだというエピソードが残っています。
逆に大酒飲みにもかかわらず、酔って暴れて他人に迷惑をかけただとか、仕事で大きな失敗をしたなどのエピソードは出てきません。
元来の性格が穏やかだったために、お酒が入っても暴れたりすることがなかったということなのかもしれません。
まとめ
藤原道隆の死因は糖尿病
当時は疫病が流行り、多くの貴族が天然痘で亡くなったが、道隆は糖尿病で亡くなった
糖尿病の原因はおそらくお酒の飲み過ぎ
道隆の性格は朗らかで自由気まま、気配りができるような性格
大酒飲みだが、暴れたりするようなことはなかった(?)
以上、後に道長のライバルとなる藤原伊周の父・藤原道隆についてでした。
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