NHK大河ドラマ「どうする家康」の第45話「二人のプリンス」のネタバレとあらすじをご紹介します。
この記事には大河ドラマの内容のネタバレが含まれています。
事前に内容を知りたくない方は、適宜読み飛ばしてください。
どうする家康ネタバレとあらすじ 第45話「二人のプリンス」
11月26日放送予定の「どうする家康」第45話「二人のプリンス」の内容です。
前回の第44話「徳川幕府誕生」で、家康は征夷大将軍となりました。
豊臣と徳川の共存を考え、「徳川は武士、豊臣は公家(貴族)」という棲み分けを狙ってのことです。
家康は前途有望たる若者を大いに活用し、念願であった太平の世の政を着々と推進していきます。
同時に、豊臣との関係にも気を配っていました。
「関ヶ原はまだ終わっていない」
このまま秀頼が成長したとき、天下を豊臣に返すか、それとも...
自分と違って他に叱る人がいない経験不足の後継者・秀忠を、家康は容赦なく叱りつけて成長を促します。
そして、家康自身は隠居し、秀忠に2代目の将軍職を譲り渡しました。
これは、徳川家が天下を受け継いでいくという宣言でもありました。
これを知った秀頼の母・茶々や、秀頼の側近・大野治長は怒ります。
徳川と豊臣の決戦が近づこうとしていました。
第45話「二人のプリンス」はこの続きから始まります。
豊臣秀頼
将軍職を秀忠に譲って大御所となった家康は、駿府城を居城として、大阪ににらみをきかせていました。
豊臣家の当主である豊臣秀頼は、父である秀吉に似ず、今や立派な偉丈夫に成長したとの噂です。
家康が上方から去るやいなや、大阪では関ケ原で敗れて牢人となった者たちを大勢囲い込み、武器を集めるなど戦に備えた活発な動きを見せ始めました。
世間は徳川と豊臣がぶつかるという噂で持ちきりです。
そんな中、江戸で政務をとる秀忠と、老中となった本多正信が駿府城にやってきました。
秀忠:「この10年、天下の政務を執ってきたのは、我ら徳川。」
将軍就任から6年、徳川家当主として精魂を傾けてきた秀忠は、家康のもと政を進めるのが世の安寧だと訴えます。
家康の側近となった本多正純も、今や徳川が上で豊臣が下であると明確にすべきだと主張します。
しかし、秀頼が大人しく臣従するとは思えません。
かといって、力ずくでひざまずかせるのは、もってのほかです。
家康:「太閤というお人は、今も多くの者の心に生きておる。」
その太閤(秀吉)の遺児に武力を行使すれば、万民の怒りが徳川に向けられるのは必至です。
正信は、重要なのは上下関係ではなく、豊臣と徳川が手を取り合っていると世に知らしめることだと言います。
この度行われる天皇譲位の儀式の際、秀頼を二条城に招き、家康との顔合わせの席で上座に座らせ、あがめたてまつるーーー
正信:「天下の政務を執るのは、将軍である徳川。されど豊臣のことは公家として尊重し続け、決して無下にはせぬ、と示す」
仲立ちを頼んだ寧々が心を砕いてくれたおかげか、あるいは徳川との和解を望む者が説得してくれたのか...大阪から承諾の返事が来ました。
秀頼と千姫の夫婦仲も良好なようです。
秀頼がすずやかで義を重んじる人物であることを家康は願いました。
そうであるならば、秀忠とうまく強調していくことができるでしょうし、家康自身も安心して隠居が出来ます。
二条城会見
秀頼は二条城に向うため大阪城を出て、初めて民衆の前にその姿を現しました。
上方での豊臣人気は凄まじく、麗しい若殿様を一目見ようと京の町は大変な騒ぎです。
家康が二条城の庭先で家臣たちと待っていると、大勢の家臣に守られた青年武将がさっそうとやってきます。
聞いていたとおり、堂々たる体躯の青年です。
秀頼:「大御所様!わざわざのお出迎え、恐悦至極に存じます。羽柴豊臣秀吉にございます!」
家康よりが話しかけるより先に、秀頼が笑顔で挨拶をします。
家康:「...ようこそおいでくださった。さあ、お入り下され」
秀頼:「大御所様からどうぞ」
家康は何度も先に入るように勧めましたが、「わが妻のお祖父様より先に、なぜ私が入れましょう」とまで言われ、やむなく先に入りました。
さらに、秀頼は家康を上座に座らせます。
秀頼:「大御所様、長らくのご無沙汰、大変ご無礼いたしました。秀頼、心よりお詫び申し上げまする。」
秀頼は深々と伏して家康に許しを請います。
顔を見上げた秀頼は、余裕の笑みを浮かべていました。
秀吉
この二条城での会見は、世間での秀頼の評価を高め、逆に家康は恥知らずの無礼者としての評判を広めました。
大阪には前にも増して牢人が集まっていると、本多正純が憤ります。
関ケ原では活躍の機会がなかった秀頼に、華々しく世に登場するまたとない機会をわざわざ用意してしまったことになります。
秀頼とその背後にいる茶々に、家康はまんまとしてやられたようです。
阿茶:「秀頼様というお方、どう御覧になりました?」
疲れ切って駿府城に戻った家康に、阿茶が尋ねます。
家康:「すずやかで様子の良い...秀吉じゃ」
家康はぐったりして頭を抱えました。
大阪方の自信
これ以降、秀頼は目覚ましい活躍を見せ、豊臣の威光を復活させる大事業を進めて行きました。
亡き秀吉の悲願であった、京の方広寺大仏殿の再興もその1つです。
一度は失火で頓挫したものの、秀吉の17回忌にあたるこの年に、開眼供養(※新たに仏様の魂を入れ込む供養)にこぎつけたのです。
開眼供養の日取りは秀吉の生まれた8月3日に決まり、諸大名や公家、民百姓にいたるまで万民が豊臣の名のもとに集う、盛大な催しとなる予定です。
茶々:「まさにこの日本国の新たなる船出を表すものとなろう。」
茶々はご満悦ながら、一方で徳川への警戒も忘れていません。
茶々:「戦の備えだけは怠るな。もっとも、向こうに戦を仕掛ける度胸があるかは分からぬが。」
側近の大野治長(修理)が、老木さえ朽ち果てれば、凡庸な二代目は比べるべくもないと笑います。
茶々:「世の人々が自ずと決めるであろう。誰が真の天下人か。」
茶々は自信たっぷりにほほえみました。
王道
家康:「将軍はお前であろう、いちいちわしを頼るな!」
修理(大野治長)に「凡庸」と評された秀忠は、例の開眼供養をどうにかしてくれと家康に泣きついていました。
秀忠:「間違いなく豊臣の威光、ますます膨れ上がります。正信にもそう申しておるのに...」
正信:「やめさせる理由が見つかりませんでな」
正信は飄々と答えます。
阿茶や正純がとりなしますが、秀忠はまるで自身がない様子で、家康がいつ死ぬかと思うと夜も眠れないと泣き言を言います。
家康:「そなたはな、わしの才をよく受け継いでおる。」
ぽかんとする秀忠に、家康は優しく説きました。
かつての家康と同じく、秀忠の才は「弱いこと」、そしてその「弱さを素直に認めることができること」でした。
戦乱の中でそれを捨てざるを得なかった家康とは違い、秀忠にはずっとその才を大事にして欲しい、そう家康は思いました。
家康:「戦を求める者たちに、天下を返すな。武功に生きる者たちの世に戻すな。」
武をもって治める覇道は、徳をもって治める王道には及ばぬものーーー
家康:「そなたこそが、それを成す者と信じておる!わしの志を受け継いでくれ」
家康の思いは、秀忠の胸に届いたようでした。
とはいえ、秀忠のためにも、戦乱の火種は取り除いておきたい...
豊臣の力を削ぐような、うまい手立てはないものかと考えます。
そんな中、家康たちの思いもかけぬところから、突然大きな火種が投げ込まれたのです。
第46話に続きます。
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