鎌倉殿の13人の第43話「資格と死角」のあらすじです。
この記事の内容はネタバレを含みます。
事前に内容を知りたくない方は、適宜読み飛ばして下さい。
鎌倉殿の13人 第43話のあらすじ
11月13日放送予定の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の第43話「資格と死角」のあらすじです。
前回の42話「夢のゆくえ」では、「源実朝の渡宋計画」が描かれました。
和田合戦を経て、鎌倉殿としての自覚を強くした実朝は、意気込んで政にあたりますがなかなかうまくいきません。
そんな中、陳和卿の進言により、自身の尊敬する聖徳太子にならって船を造り、海を渡って中国大陸の宋と交易をしようと準備を進めます。
しかし、船は完成したものの、その船を海に運ぶことができずに計画は頓挫。
この計画失敗の影には北条が絡んでいました。
落胆する実朝は母・政子と今後について話し合います。
そして、養子をとって自ら鎌倉殿を引退することを義時らに宣言します。
「源氏と北条の血を引く鎌倉殿」を実朝の代で終わらせようと言うのです。
これに義時は激しく反対。
しかし、この策は実朝の思いつきではなく、政子と示し合わせてのことでした。
反対したのは義時1人のみ。
結局、実朝は鎌倉殿を辞することになり、その意向は後鳥羽上皇へ伝えられることが決まります。
43話はその続きから始まります。
公暁の帰還
船の一件から約2ヶ月後、京の圓城寺で修行していた「公暁」が鎌倉へ帰ってきました。
公暁は、鶴岡八幡宮の別当に就任することになりました。
乳母夫の三浦義村が出迎えます。
義村:「鎌倉殿の跡を継ぐのは、若君の他はございません。」
公暁:「必ず鎌倉殿になってみせる。」
翌日、三浦義村は公暁を北条義時のところへ連れて行きます。
義時とひと通り話し終えた公暁は、政子のもとへ挨拶に向かいました。
その場に残った三浦義村に、義時が「予期せぬ事態が起きた」と経緯を説明します。
義時:「次の鎌倉殿は京よりお招きする。」
義村は納得出来ないといった様子です。
そこに政子が困惑した顔でやってきました。
政子:「公暁には話していないのですか?」
かくいう政子自身も、公暁に事実を告げることが出来ませんでした。
公暁は還俗して鎌倉殿になるつもりです。
そして、何も知らないまま、公暁は実朝と対面します。
実朝:「私は大御所となり、そなたには鶴岡八幡宮別当として、新しい鎌倉殿の良き相談相手になってもらう。」
実朝から「養子をとって鎌倉殿をその養子に継がせる」という計画を始めて聞いた公暁は驚愕します。
鶴岡八幡宮に戻ったあと、公暁は話が違うと憤りました。
このあと、公暁は千日参籠(※1000日の間、寺に籠もって祈願すること)を行う予定です。
三浦義村がその間に実朝を説き伏せると公暁に約束しました。
養子問題
千日参籠の間、堂内に入ることができるのは世話役の稚児のみです。
その役目は三浦義村の息子である駒若丸(こまわかまる)が就くことになりました。
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公暁が寺に籠もっている間に、義時と義村が実朝の乳母・実衣を交えて、養子の話を覆す手立てはないかを話し合います。
義村:「これ(養子)が帝のお子だったら、俺も納得してやる。」
義村はありえないだろうと高をくくっています。
「実朝を大御所に」というのは政子が発案した作戦です。
政子は波紋の大きさに不安になりました。
予想以上に義時は猛反対し、公暁は鎌倉殿の地位に固執しています。
政子:「これでよかったのでしょうか?」
政子は大江広元に相談します。
広元:「尼御台は、今後もご自分の思った道を突き進むべきでございます。」
鎌倉殿を京から迎えれば、御家人同士のいさかいがなくなるという政子の考えを広元は後押ししました。
宮将軍の計画
実朝が主な関係者を招集しました。
跡継ぎのことについて表明すべきことがあるとのことです。
公暁も、千日参籠を中断してその場に加わります。
義時:「ここはもう一度、我ら宿老が時をかけて話し合うべきではないでしょうか?」
実衣:「鎌倉殿にお子がいなくても、公暁殿もいれば、うちの息子だっているのですから。」
(※実衣の子・阿野時元は、源頼朝の弟・阿野全成との間の子で、「頼朝の甥」「実朝のいとこ」にあたります。)
実朝が合図を送ります。
側近・北条泰時が後鳥羽上皇から届いた文を集まった皆に向けて掲げました。
実朝:「上皇様は、親王様の中から誰かを遣わしても良い、と仰せだ。」
つまり、「後鳥羽上皇の子が実朝の養子となり、その子が次の鎌倉殿になる」ということを、後鳥羽上皇が認めたという意味です。
今後は鎌倉のトップに、帝の直系の血筋が君臨することを意味します。
実朝が一同を見渡します。
実朝:「これならば反対する御家人はいないと思うが。」
実朝が顔を向けると、義時・義村は両手をあげて歓迎の意を表します。
義時:「実現すればこれに勝る喜びはございません。」
義村:「御家人たちも皆、喜ぶと思います。」
早々に話をまとめるため、政子が直々に京へ向かうことになりました。
皆が解散した後、三浦義村は弟の胤義に耳打ちします。
義村:「俺は認めん。三浦がはい上がる最後の好機なんだ。なんとかしなければ。」
上洛と交渉
翌年、政子が上洛しました。
弟の北条時房が同行しています。
院の御所で後鳥羽上皇の乳母・藤原兼子と対面した政子は、うまい具合に話を進めます。
今の天皇は実朝の養子候補の1人、頼仁親王(よりひとしんのう)の兄です。
その頼仁親王の兄の后は現在懐妊しているとの話です。
政子:「ということは、頼仁様が次の天皇になられることは…。ならば代わりに鎌倉殿になっていただけたらこれほど嬉しいことはございません。」
藤原兼子はまんざらでもない様子です。
政子はこれを好機と捉え、頼仁親王が鎌倉殿となった暁には兼子に最高の礼を尽くすと約束して自尊心をくすぐります。
一方そのころ、政子と同行して京へ来ていた北条時房が、後鳥羽上皇とその知恵袋・慈円の話題に上ります。
慈円:「この男、鎌倉一の蹴鞠の名手との噂。」
後鳥羽上皇:「…おもしろいな。」
当の時房は御所の庭を散歩中でした。
すると、どこからともなく鞠が転がってきます。
時房がその鞠を拾うと、地味な公家の男が蹴ってほしいと声をかけました。
時房がその鞠を蹴り、地味な公家はそれを蹴り返します。
互いにきれいな蹴鞠を披露し合いました。
地味な公家:「見事じゃ!」
地味な公家は鞠を手にすると、時房に歩み寄りました。
「この地味な公家はただ者ではない」時房がそう思った瞬間に慈円が現れます。
慈円:「上皇様であらせられる。」
地味な公家は後鳥羽上皇でした。
時房は驚き、無礼な態度を侘びます。
後鳥羽上皇は上機嫌で慈円に話しかけます。
後鳥羽上皇:「慈円僧正、我が最愛の子たる親王を鎌倉に与える話、早く決めてやれ。」
時房、ファインプレーです。
「目指していたもの」
実朝の跡を継いで鎌倉殿になるのは「頼仁親王」に決まりました。
実朝は親王の後見人として「左大将」に任ぜられます。
これは父・源頼朝の官職を超える人事でした。
実朝は後鳥羽上皇の厚意に感謝し、できることならばと、源仲章に意見を求めます。
実朝:「太郎(北条泰時)も何かの官職に推挙してやりたいが。」
仲章:「菅原道真公と同じ讃岐守はいかがでしょう?」
泰時は恐縮し、義時も時期尚早だとほのめかしますが、実朝はぜひと推挙し、仲章は自分が口添えすれば間違いないと自信をのぞかせます。
その場は解散し、廊下を歩く義時を仲章が追いかけます。
仲章:「頼仁親王様が鎌倉殿になられたあかつきには、この源仲章が関白として支え、政を進めていく。」
仲章は鎌倉の実権を握ろうと企んでいました。
その仲章にとって、義時は目の上のたんこぶでした。
仲章は義時に引退するよう勧めます。
その夜、義時は息子の泰時と話し合います。
義時:「讃岐守のこと、断ってもらいたい。」
義時と泰時は何度も意見が対立しましたが、義時は泰時のことを、いずれは自分を超える器の持ち主だと認めています。
義時:「いずれお前は執権になる。お前なら『私が目指していてなれなかったもの』になれる。」
義時の懸念は、「その時」になって源仲章が泰時の前に立ちはだかることでした。
義時:「だから今から気をつけよ。(源仲章に)借りをつくるな!」
泰時:「ご安心ください。私も讃岐守はご辞退しようと思っていたところです。」
ようやく義時と泰時の親子は気持ちが通じ合いました。
ほっとして帰りかけた義時に泰時が語りかけます。
泰時:「父上が『目指してなれなかったもの』とはなんですか?」
…義時からの答えは返って来ませんでした。
真実を知った公暁
千日参籠中の公暁は気が気でありません。
「頼仁親王が実朝の後継者になった」という話が耳に入ると、三浦義村を呼び寄せます。
公暁:「私が鎌倉殿になる芽は摘まれた、そういうことか?」
義村:「若君が鎌倉殿になれば、必ず災いが降りかかる。これでよかったのです。」
無念そうに義村がつぶやきます。
公暁は「どういう意味だ?」
と聞き返します。
公暁は父・源頼家の死の真相を知りませんでした。
義村はそれに対し驚いた様子を見せます。
義村:「あなたの父上は殺されたのです。北条の手によって。小四郎義時は、頼家様を亡き者にし、扱いやすい実朝様を鎌倉殿に仕立て上げました。」
不意に公暁に幼いころの記憶が蘇ります。
見知らぬ老婆が現れ、「北条を許すな!」と呪文のように繰り返した日がありました。
公暁に怒りがこみ上げます。
義村は語気を強めて公暁の怒りを煽ります。
義村:「北条を許してはなりません!そして、北条に祭り上げられた源実朝もまた、真の鎌倉殿にあらず!」
京での交渉から2ヶ月後、北条政子が鎌倉に戻ってきました。
ようやく肩の荷が下りたと達成感に浸ります。
その2ヶ月後、鶴岡八幡宮において実朝は左大将の拝賀式を執り行いました。
さらに1ヶ月後、同じ鶴岡八幡宮で実朝の「直衣始めの儀式」が盛大に行われました。
華々しい儀式を見ながら、公暁は物陰から源実朝の凛とした姿をじっと観察していました。
第44話に続きます。