大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に駒若丸(こまわかまる)という若者が登場します。
公暁と一緒に鶴岡八幡宮にいるこの人物は何者なのでしょう?
公暁の世話役・駒若丸とは?
「駒若丸(こまわかまる)」は、実在した人物で、元服後は三浦光村(みうらみつむら)を名乗っています。
父は三浦義村で、駒若丸は4男です。
幼少時代は鶴岡八幡宮に預けられ、「公暁」の弟子になりました。
弟子ですので、公暁の千日参籠の世話もしていたと思われます。
ですが、駒若丸は「公暁による実朝暗殺事件」の約4ヶ月前、鶴岡八幡宮で乱闘騒ぎを起こして謹慎をくらっています。
大河ドラマでは、駒若丸が実朝襲撃のための武器を用意するシーンがありますが、実際はその時期まだ駒若丸は謹慎中で、実朝暗殺には関わっていなかったものと思われます。
公暁の他の弟子達は、公暁と一緒に実朝や源仲章を襲撃しています。
駒若丸は謹慎が明けていないためにその場にいなかったのでしょう。
駒若丸のその後
実朝暗殺事件で師匠の公暁がいなくなった後、駒若丸はそのまま僧侶の道には進まず、実家の三浦家に呼び戻されて御家人となります。
4代将軍・藤原頼経(ふじわらよりつね)の近習に任じられると、その後、約20年間頼経の側近として活躍します。
藤原頼経が将軍を退き、子の藤原頼嗣(ふじわらよりつぐ)が5代将軍になると、その頼嗣を補佐するため評定衆(鎌倉幕府の最高政務機関)の一員になりました。
もともと僧侶になるはずで、もしかしたら公暁とともに実朝暗殺事件で討ち取られていたかもしれない駒若丸は、鎌倉幕府の有力御家人となりました。
駒若丸(三浦光村)の最期
名宰相・北条泰時が亡くなったあと、鎌倉幕府では「執権北条氏派」とそれに反発する「将軍派」との対立が鮮明になっていきます。
そうしたなか、5代執権・北条時頼の排除計画事件(宮騒動)が起こり、4代将軍・藤原頼経が鎌倉から追放されてしまいます。
この事件に、三浦光村は「将軍派」として加担していました。
光村が処罰を受けることはなかったものの、長年仕えた頼経が北条の手によって鎌倉を追われたことに対し反感を覚えたのでしょう。
三浦光村は「反北条派」の中心人物となっていきます。
そしてついに、北条と三浦は武力衝突を起こします。(宝治合戦)
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光村はその先頭に立ちますが、三浦一族のリーダーである兄の三浦泰村は和平の道を探りつづけます。
一枚岩ではなかった三浦氏は北条氏を中心とする幕府軍に敗れ、ついに滅びてしまいます。
三浦光村は、源頼朝の墓所・法華堂に立てこもり、最後まで抵抗します。
そして、敵が自分を討ち取ったあと、それが三浦光村だと判別させないように、自ら顔中を刀で切り刻んだあと自害して果てました。
享年は43だと伝わります。
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