大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の主人公・北条義時には妻が何人かいました。
大河ドラマでは「八重(演:新垣結衣さん)」、「比奈(演:堀田真由さん)」、「のえ(演:菊地凛子さん)」という妻たちが登場します。
彼女らの本名は、現在には伝わっていないため、「八重・比奈・のえ」は今回のドラマのために付けられた名前です。
では、彼女らのモデルとなった女性はどんな人だったのでしょうか?
史実の北条義時の妻は何人いた?
史実の北条義時の妻は、少なくとも4人はいます。
八重・比奈・のえのモデルとなった人物に加え、もう一人側室がいることまでは判明しています。
当時の最高権力者だったため、記録に残っていないだけで、他にも側室がいた可能性があります。
また、ドラマでは泰時以外ほとんど出てきませんが、子供も14人はいます。
その中には、第7代執権となる北条政村らもいました。
八重のモデル
八重のモデルとなったのは、「阿波局(あわのつぼね)」と呼ばれる女性です。
(※なお、北条時政の娘にも阿波局という女性がいますが別人です。あちらはドラマでは「実衣」と呼ばれています。)
北条義時の妻(もしくは妾)とされており、北条泰時の母にあたります。
源頼朝の最初の妻となった「八重姫」と同一人物ではないかという説があり、「鎌倉殿の13人」ではこの説を採用しています。
この説をとった場合でも、阿波局(八重姫)が北条泰時を産んだ後どうなったのかに関しては不明です。
ドラマで八重が鶴丸を助けようとして溺れたのは、完全にオリジナルのストーリーでした。
比奈のモデル
比奈のモデルは「姫の前(ひめのまえ)」と呼ばれる女性です。
父は比企朝宗(ひきともむね)とされています。
比企朝宗は13人の一人、「比企能員」の兄弟にあたる人物です。(※比企能員は養子のため実の兄弟ではありません。)
姫の前は北条義時の正室であり、「北条朝時」、「北条重時」、「竹殿」らの母親だとされています。
大変な美人で、源頼朝のお気に入りの女性でもあったようです。
北条義時は、1年以上も恋文を送り続けていたものの一向に相手にされなかったそうです。
頼朝のとりなしで「絶対に離縁いたしません」との起請文を義時に書かせてようやく結婚に至ったというエピソードが残っています。
「比企能員の変」の後、「吾妻鏡」には姫の前の記述がありません。
別の史料によると、比企能員の変で比企一族が滅んだあと、実家を滅ぼされた姫の前は義時と離縁して京へ行き、そこで再婚したとされています。
のえのモデル
のえのモデルとなった人物は、「伊賀の方(いがのかた)」と呼ばれる女性です。
伊賀朝光という御家人の娘で、北条義時の継室(後妻)とされています。
第7代執権となった「北条政村」を始め、北条実泰、北条時尚、一条実雅の妻などの母親であると言われています。
この「伊賀の方」という女性はいろいろ黒い噂がある人物で、「北条義時に毒を飲ませて殺害した」「自分の娘婿の一条実雅を将軍に擁立しようとした」などの説が残っています。
北条義時の急死後、「伊賀氏の変」という事件を起こし、伊豆へ流罪となったとされています。
流罪先の伊豆で約4ヶ月後に危篤となった知らせが鎌倉に届いており、どうやらその頃に亡くなったものと見られています。
その他の妻
その他に妻が何人いたのかは不明ですが、少なくとも「伊佐朝政の娘」という側室はいたようです。
彼女は、後に讃岐国守護となった「北条有時」の母親だとされています。
あとは、それぞれ「一条実有」「中原季時」「一条能基妻」「戸次重秀」「佐々木信綱」という人物の妻となった女性が、北条義時の娘と言われています。
彼女らの母親が北条義時の妻ということになりますが、その詳細はわかっていません。
ドラマに出てくる以外にも、北条義時には多くの妻と子供たちがいたようです。