大河ドラマ「光る君へ」の第1話で、いきなりブチギレて主人公・まひろの母親「ちやは」を刺した藤原道兼。
その事件もあって、ドラマでは恨まれながらも自身も苦しみをかかえ、段々と更生していくような人物に描かれています。
彼はその後どうなったのでしょう?
藤原道兼の最期と死因
藤原道兼は、最期は病で亡くなります。
死因はおそらく天然痘です。
大河ドラマでも疫病が流行り、まひろが感染したものの、道長の看病によって一命をとりとめました。
実際にこのころは天然痘が全国的に大流行し、1月あまりの間で道隆・道兼を含む8人ほどの公卿が亡くなっています。
(※道隆だけは糖尿病で亡くなったとされています。)
4月10日に兄・道隆が亡くなると、4月27日に道兼が関白に選ばれます。
しかし、その約10日後、5月8日に道兼は亡くなってしまいました。
享年は35とされています。
藤原道兼の史実の性格は?
藤原道兼の性格について、史料にはあまり良いことが書かれていません。
- 非常に冷酷で人々に恐れられていた
- 面倒で意地が悪い
- (兄弟などの)順序をわきまえない
- 素行が悪く、多くの「よからぬ御事」をしていた
- 老獪で恐ろしいぐらいの人間
- 顔色が悪く毛深く醜い
と、散々な書かれようです。
大河ドラマで「藤原道兼が花山天皇を騙して出家させる」というシーンがありましたが、あれは本当の出来事のようです。
「天皇を騙して追い出した張本人だから書物に散々に書かれた」とも見られなくはないですが、単純にひどい性格だったのかもしれません。
その一方で、なぜか道長には慕われていたようで、「道隆の葬儀に出なかった道長が、非常に悲しんで道兼の葬儀に出席した」という逸話も残ります。
ドラマのようにある時期から心を入れ替えて更生したのかもしれません。
藤原道兼と紫式部との関係は?
藤原道兼は「紫式部の父・藤原為時の上司であった時期がある」「後に紫式部を支援した藤原道長の兄」と、間接的な接点はありますが、直接的な交流があったのかどうかは定かではありません。
ドラマでは完全に道兼がまひろの「母の仇」になっていました。
ですが、紫式部の母は「紫式部が幼少のころに亡くなったらしい」ということくらいしかわかっておらず、もちろん殺人事件の被害者だという記録はありません。
紫式部は「源氏物語」が評判になったことで、その噂を聞いた藤原道長が紫式部を娘(中宮彰子)の家庭教師にしたと言われています。
おそらく紫式部と藤原道長は、ドラマのように幼馴染ではないです。
そして両家は身分が違います。
となると、源氏物語ができる以前に亡くなった道兼と紫式部には、交流がなかったと考えるのが自然だと思われます。
まとめ
藤原道兼は病で亡くなる
おそらく死因は天然痘
史料に残る道兼の性格はすこぶる悪い
道長には慕われていたっぽい
道兼と紫式部との間には特に大きな接点はない
以上、第一話で衝撃を与えた藤原道兼についてでした。
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