大河ドラマ「どうする家康」で、岡崎体育さんが演じた「鳥居強右衛門(とりいすねえもん)」という足軽が登場します。
おそらく教科書などには載っていないため、あまり聞いたことのない名前かもしれません。
ですが、この人、メチャクチャかっこいい伝説の侍です。
そのあたりを詳しくご紹介していきたいと思います。
鳥居強右衛門は実在の人物?
まず、鳥居強右衛門は実在の人物です。
大河ドラマでは架空の人物が登場し、それが大活躍したりします。(例:阿月など)
関連記事:阿月は実在?
関連記事:千代は実在?
そのため、ある話でスポットがあたった人物が実在したのかどうか気になるところですが、鳥居強右衛門は本当にいました。
彼は、「長篠の戦い」という多くの人が「織田信長が鉄砲を使って武田信玄の子(武田勝頼)に勝った戦」と認識しているであろうこの戦において、伝説的な動きをして現在までその名を残すことになりました。
鳥居強右衛門のかっこいい生き様
鳥居強右衛門という人物が歴史の表舞台に登場するのは、「長篠の戦い」のときのみです。
それまでの人生については、ほぼ情報が残っていません。
そして、活躍した「長篠の戦い」で亡くなったため、彼はほぼ「長篠の戦い」の時の動きだけで、歴史に名を残しました。
孤立した長篠城
1575年、鳥居強右衛門ら約500名が守る徳川方の城・長篠城は、「武田勝頼率いる戦国最強軍団」約1万5000人に包囲されます。
(※武田信玄が亡くなったとはいえ、「武田四天王」などの有力家臣が武田勝頼を支えてていたため、当時の武田家はいまだ織田信長にとっても脅威でした。)
もうこの時点で絶望感がただよっていますが、長篠城は天然の要害に囲まれた堅固な城。
なんとか武田軍の猛攻を耐え凌いでいました。
しかし、そんな中で武田軍の放った火矢によって長篠城の兵糧(食料)のほとんどが焼失。
これにより「あと数日で落城」という危機に陥ります。
城主の奥平貞昌(のちの信昌)は、岡崎城にいた徳川家康に援軍を要請しようと考えます。
ですが、長篠城は「戦国最強軍団1万5000人」が包囲しているという絶望的な状況です。
城を抜け出すことすら不可能に見えます。
ここでその援軍要請の役目を自ら買って出たのが鳥居強右衛門でした。
合図の狼煙
城を出る前、強右衛門は狼煙で合図をする手はずを決めました。
ざっくりいうと以下のルールです。
- ①「城を抜け出したら狼煙をあげる」
- ②「援軍が来るとわかったら狼煙を3回」
- ③「来ない時は狼煙を2回」
強右衛門は夜闇に紛れ、川を潜ることで武田軍の包囲をくぐり抜けることに成功します。
そして①の狼煙を長篠城からも見渡せる山であげました。
この狼煙を見た長篠城の城内からワッと歓声が上がります。
この歓声がよくありませんでした。
長篠城包囲中の武田軍はこの歓声を不審に思い、周囲に砂をまいて通行する者の足跡を改めるなど、警戒を強めます。
そんなことは知らない強右衛門は、首尾よく岡崎城へ到着します。
強右衛門は岡崎城で、長篠城城主である奥平貞昌の父・奥平貞能(おくだいらさだよし)と対面します。
貞能はすぐに強右衛門を連れて徳川家康のもとへ行きます。
彼らが家康に会うと「信長殿にこのことを伝えよ」と織田信長に直接話をするように勧められました。
この少し前、既に家康は長篠城を助けるために信長に援軍要請を何度も行っていました。
家康の軍勢だけでは、到底長篠城を救うための兵力が足りないからです。
当事者が切迫した状況を直に伝えたら信長も動くかもしれない、家康はそう考えて足軽の強右衛門を信長に直接会わせました。
「武田軍の包囲を命がけでくぐり抜けて援軍の要請をする」という強右衛門の勇敢な行動に心を動かされた信長は、すぐに援軍をおくると約束します。
そして、強右衛門に道案内をするように申し付けました。
しかし、強右衛門はこれを拒否。
一刻も早く長篠城で戦う仲間たちに、援軍が来るということを知らせるために、鳥居強右衛門は長篠城へ向かいます。
援軍アピール
強右衛門は長篠城から見える山で狼煙を3回あげます。
事前に取り決めていた「援軍が来る」という合図でした。
それを見た長篠城内の兵士の士気は否が応にも上がりました。
これで役目は終えた強右衛門ですが、どうしてももう一度仲間たちとともに戦いたいと考えていました。
武田軍を欺いて長篠城に潜入しようと試みますが、狼煙が上がったことで警戒を強めていた武田軍は強右衛門が長篠城へ入ろうとするのを見逃しませんでした。
命がけの進言
武田軍に囚われた鳥居強右衛門は、大将・武田勝頼の前に引き出されます。
一連の事情を知った勝頼は、強右衛門を利用しようと考えます。
勝頼は「援軍は来ない」「城を明け渡せ」と、長篠城の兵士たちに聞こえるように強右衛門に叫ぶように命じました。
それをすれば、命を助けるどころか褒美を取らせるという条件まで提示されました。
強右衛門はこれを受け入れました。
強右衛門は、長篠城へ声が届く距離まで連れてこられます。
そして―
「城内の方々!すぐに援軍が参ります。城を固めてお守り下さい!」
と叫びました。
武田の兵がすぐに強右衛門の口を塞ぎましたが時すでに遅し。
長篠城の士気は一気に上がります。
これを見た武田勝頼は怒って強右衛門を磔にして処刑してしまいます。
(なお、この強右衛門の言動を見て感動した落合佐平次という武田方の武将が、自らの旗印に「鳥居強右衛門の磔の図」を採用したと言われています。)
長篠城は「援軍がもうすぐ来る」「鳥居強右衛門の死を無駄にしてはならない」という2つの理由から大いに士気が上がり、援軍が到着するまでの間、武田軍の猛攻に耐えきりました。
この後、設楽原という場所で織田信長が武田勝頼を破ります。
この一連の流れが世にいう「長篠の戦い」です。
長篠城は要衝であったため、ここが落ちていれば織田・徳川VS武田の勝敗が変わっていた可能性もありえます。
そんなイメージはあまりないかもしれませんが、「長篠の戦い」は、当時の天下分け目の合戦でした。
織田・徳川軍と武田軍、勝ったほうが天下統一に近づくという大一番でした。
もしかしたら、鳥居強右衛門の勇気ある行動が、歴史を変えたのかもしれません。
まとめ
- 鳥居強右衛門は実在の人物
- 長篠の戦いでのみ大活躍、しかし、それがすごすぎて伝説になる
今回はカッコいい侍・鳥居強右衛門のことを取り上げました。
大河ドラマではなぜか「ろくでなし」と言われていますが、それどころか英雄と言われてもおかしくないような侍・鳥居強右衛門のご紹介でした。