NHK大河ドラマ「どうする家康」の第46話「大坂の陣」のネタバレとあらすじをご紹介します。
この記事には大河ドラマの内容のネタバレが含まれています。
事前に内容を知りたくない方は、適宜読み飛ばしてください。
どうする家康ネタバレとあらすじ 第46話「大坂の陣」
12月3日放送予定の「どうする家康」第46話「大坂の陣」の内容です。
前回の第45話「二人のプリンス」で、家康は成長した秀頼と対面します。
徳川としては、秀頼を尊重し、無下にしないということを示すつもりで行われた会見でした。
しかし、秀頼はその場をうまく利用し、自分の評価を高めることに成功。
逆に徳川は恥知らずの無礼者として世間からそしられることになりました。
外見は全く違いましたが、秀頼の中身はかつて家康が手を焼いた秀吉そのものでした。
家康は、2代将軍となった秀忠が、自分の志を受け継ぎ「徳をもって治める王道」を成す者であることを信じていました。
しかし、そのためにも戦乱の火種は取り除いておきたいところです。
火種となりうる豊臣の力をうまく削ぐ手立てはないものか...
そんなことを考えていた矢先、思いもかけぬところから、大きな火種が投げ込まれます。
第46話「大坂の陣」はこの続きから始まります。
鐘に刻まれた文字
「御所柿は独り熟して落ちにけり木の下にいて拾う秀頼」
世間ではそんな落首が流行っていると言います。
つまり、「家康はもう高齢なので、何もしなくてもいずれ豊臣秀頼の天下が来る」という意味です。
しかし、柿が熟して落ちるのを待てなかったのか、方広寺の大仏開眼供養を翌月に控えたある日、ある事件が起きます。
家康:「...鐘?」
本多正純が報告してきたのは、大仏殿の鐘に刻まれた文字についてです。
その鐘には「国家安康君臣豊楽」と刻まれていました。
この件は極めて慎重に対処せねばならないと、秀忠・正信が江戸から駿府城に駆けつけます。
『「家康」の名を首と胴に分け、豊臣を主君とする世を楽しむ』
儒学者の林羅山(はやしらざん)・高僧の金地院崇伝(こんちいんすうでん)らの知恵者によると、この鐘の文字は明らかに呪詛の言葉だということです。
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しかし、これを指摘しても、豊臣はあくまで言いがかりだとつっぱねるでしょう。
これを見逃せば幕府の権威は失墜し、豊臣がますます力を増大させていく...
しかし、処罰すれば、「徳川は豊臣を潰すために卑劣な言いがかりをつけてきた」とみなされてしまいます。
正信:「実に見事な一手」
感心する正信を、息子の正純が睨みつけます。
当代随一の知恵者が集まりながら、これを阻止する手立てが見当たりません。
家康は、その場から少し離れて薬の調合を始めました。
何とかして戦を避けようと精一杯やってきたが、あちらにその気は無いようです。
それほどまでして、この老いぼれを倒したいのであろうか...と家康は悩みます。
正信:「...腹をくくられる他ないでしょうな...世を敵に回すことを」
正信がそばに来て、ため息混じりにいいました。
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豊臣と徳川のつなぎ役
片桐且元「鐘の銘は甚だ不届きとのことで...鐘をすり潰すようにと」
豊臣家家老の片桐且元が、言いにくそうに秀頼に報告します。
いまやこの片桐だけが、かろうじて徳川と豊臣のつなぎ役となっています。
片桐:「それに加え...この大阪からの退去をお求めでございます。」
国替えを拒むなら、「他の大名と同様に秀頼を江戸に参勤させる」か、「茶々を人質として江戸詰めにする」かどちらかを選べというのが家康の要求です。
修理:「なんと無礼な!」
修理(大野治長)が怒り、わめきたてます。
これは豊臣を潰す徳川の謀略であり、断じて許すべからずと芝居がかった口ぶりで話します。
片桐:「修理!戦をして豊臣を危うくするつもりか!」
片桐が声を荒らげました。
修理はこうなることが分かって、例の鐘の文字を刻んだようでした。
修理:「徳川に尻尾を振って豊臣を危うくしておるのはそなたであろうが、片桐!」
修理は片桐が家康へ内通していると疑い、片桐を亡き者にせんと密かに企んでいました。
最後の役目
豊臣は、徳川の要求に応じる気はないようです。
上方はすでに戦の気配が高まり、関ケ原で敗れたかつての大名たちが続々と集まっているとのこと。
正純:「やるならとことんやるまで」
報告を終えた正純は、家康に一礼して去りました。
こうなると、家康の最大の気がかりは千姫でした。
戦となれば人質となり、命の保証はありません。
今頃どれほど不安で心細い思いをしていることか...
もはや戦は避けられないのかと、打ち沈む家康をよそに、駿府城でも戦の準備が着々と進みます。
そこへ本多正信がやってきました。
正信:「片桐殿が殺されかけたとか」
間一髪で命拾いした片桐且元は、今は伏見の徳川方に匿われているとのことでした。
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ともに70を超えた家康と正信は、肩を並べてつくづくと甲冑を眺めます。
家康:「...年寄りがこんなものつけて、笑われんかのう」
正信:「秀忠様は、ご自分が総大将として全軍を率いると仰せです。」
代わりに江戸で留守番をしてはどうかと正信に勧められた家康は、首を振りました。
家康:「この戦は、徳川が汚名を着る戦となろう...汚れるのは、わし一人で十分じゃ」
信長や秀吉のように、地獄を背負ってあの世に行くのが自分の最後の役目であると、とうに覚悟は出来ていました。
正信:「...それがしも一緒に行きます。」
かつて主君を裏切り命まで狙った男が、主従を超えた盟友となり、最後の時まで隣りにいようとは、当人たちも夢にも思わなかったに違いありません。
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大阪冬の陣
大阪は、戦を渇望する反徳川の牢人たちで溢れかえりました。
その中には、関ケ原で活躍した智将・猛将たちも数多くそろっています。
一方、徳川方は大阪方の約2倍の兵力を動員し、天下一の城塞都市・大阪へ進軍しました。
家康は大阪城の南、一里(約4km)ほどの距離にある茶臼山に陣を置きました。
徳川方には大阪の内部をよく知る片桐且元が味方につき、関ケ原の際に対立した上杉景勝も参陣しましたが、戦の経験がない若い兵が多くいました。
家康は、常に和睦の準備をしておくように正信に命じます。
家康:「...冷えるのう」
北風の吹きすさぶ中、大阪城の周辺各地で戦が開始。
「大阪冬の陣」の始まりです。
数に勝る徳川方は、各地で勝利を収め、大阪城は完全に包囲されました。
大阪城は堅固な城でしたが、唯一南側だけが弱点でした。
それを見越して大阪方の将であり、真田昌幸の次男にあたる真田信繁は城の南に出城を築きます。
世に「真田丸」と呼ばれるこの出城を徳川兵が攻略しようと試みますが、逆に真田の鉄砲隊の餌食となり、甚大な戦死者を出してしまいます。
家康:「...また真田か...」
これ以上戦が長引くと不利になるーーー
そう考えた家康は和睦することに決めましたが、茶々が簡単に話し合いに応じるとは思えません。
やむなく、三浦按針(※リーフデ号の航海長・ウィリアム・アダムズのこと)に調達させたイギリス製の大砲を、大阪城本丸に向けて放ちました。
武力の差を見せつけ、やれば負けると相手に思わせるためでした。
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第47話に続きます。