善児は北条義時の配下になるのではないか?北条が関与した暗殺を確認

善児 映画・ドラマ
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大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に「善児」というオリジナルの登場人物が出てきます。

梶原善さんが演じ、セリフはほぼ「へい」の一言のみで、顔色を変えず次々と主要人物を暗殺していくという不気味な男です。

この善児がなかなか人気のキャラクターで、視聴者の間では「オープニングに善児の名前が出るとその回は死人が出る」と死神扱いされ、恐れられています。

善児は「鎌倉殿の13人のオリジナルキャラクター」であるため、今後どのような動きをするのか予想ができないというのも魅力の一つになっています。

ここでは、大河ドラマを楽しむための一つの説として「善児は北条義時の配下になるのではないか」という説を検証してみたいと思います。

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善児は北条義時の配下になる?

善児というキャラクターは、鎌倉殿の13人という大河ドラマの架空の登場人物です。

そのため、善児が今後どのように動くのかは、完全に三谷幸喜さん次第です。

ですので「善児が北条義時の配下になる」という説に根拠は特にありません。

強いて言えば、「鎌倉殿の13人」のキャッチコピーは「予測不能のエンターテイメント」です。

今までさんざん「北条義時の味方」を暗殺してきた善児が、何かのきっかけで義時の側につけば、予測不能で面白いかなというのが「善児が北条義時の配下になる」という説を提唱する理由です。

北条義時はドラマの序盤では「まわりの個性が強い人達に振り回されるいい人」という立ち位置ですが、源頼朝の死後あたりからだんだん「恐ろしい人物」となってくるはずです。

史実の北条義時は何度も暗殺を行ったとされているからです。

この暗殺の際に善児が義時の右腕となって「仕事」をする展開があるかもしれません。

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北条義時が関わったとされる暗殺

では、実在の北条義時が関わったとされる暗殺にはどのようなものがあるのでしょうか?

源頼家

鎌倉幕府の第二代将軍として知られる「源頼家」は北条義時の手勢によって暗殺されたという記録が残されています。

頼家は源頼朝と北条政子の間の長男です。

つまり、北条義時からみれば甥にあたります。

なぜ実の甥を手にかけなければならなかったのでしょうか?

頼家の妻は「13人」のうちの一人である比企能員の娘・若狭局だとされています。

北条家が権力を手にしたのは、政子が頼朝の妻となったからです。

同じように、頼家が将軍として長い間活躍することになればなるほど、妻・若狭局の比企家が力を持つことになります。

これを阻止したい北条家は比企家を滅ぼし、比企を後ろ盾としていた頼家までも手にかけたというのが通説です。

畠山重忠

これは暗殺ではありませんが、「坂東武士の鑑」と呼ばれる畠山重忠を討ったのは北条義時です。

畠山重忠は北条時政の娘と結婚しているので、義時とは義理の兄弟です。

重忠が領していた武蔵野国を手に入れるための父・時政の謀略だとされており、謀反の疑いをかけて大軍で攻め込みました。

この大軍を義時が率いています。

重忠の軍は130人、義時の軍は数万人であったと言われています。

重忠を討った後、義時は悲しみに暮れ、指示を出した父・時政を糾弾したと伝わります。

「吾妻鏡」によれば、この事件をきっかけに義時と時政の対立が決定的になったとされています。

和田義盛

また暗殺とは違いますが、幕府創設時からの重鎮であった和田義盛も北条義時が討っています。

和田義盛に関しては、和田の方から北条義時を排除しようと画策し、兵を挙げます。

当時父・時政との権力争いに勝利し、第二代執権となっていた義時は反乱を鎮めるため兵を差し向けます。

その結果、義時軍が勝利したという流れなので、確かに和田義盛を討ったのは北条義時ですが、このケースは「単に反乱を阻止しただけ」と言えます。

源実朝

第三代鎌倉殿で源頼朝の次男、頼家の弟にあたります。

源実朝は鶴岡八幡宮で頼家の子・公卿に暗殺されました。

実行犯は公卿で間違いないようですが、この暗殺には公卿をそそのかした「黒幕」がいるとされています。

その黒幕として真っ先に名前があがる人物が北条義時です。

義時は実朝が暗殺された当日、実朝の鶴岡八幡宮参拝に同行する予定でした。

それが当日急に体調不良を訴え、代わりの者を遣わしたと言われています。

その「代わりの者」は実朝とともに暗殺されています。

このことから義時があやしいという噂が流れるようになりました。

あやしい噂(梶原景時)

梶原景時は「13人」のうち、一番最初に権力争いから脱落することになります。

他の御家人に恨みを買っていたため、66人もの連名で糾弾されたとされていますが、この糾弾の火付け役は北条時政の娘の阿波局であり、景時排除の影には北条家の存在が見え隠れします。

鎌倉から追放された後、京都へ行く途中で景時は地方の武士たちに偶然討たれたとされています。

追放された後すぐに討たれているため、誰かが追手を差し向けた可能性もありえます。

史料には何も残っていませんが。

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