結城朝光とは何者?三浦義村と梶原景時を糾弾した頼朝の烏帽子子

安達景盛 映画・ドラマ
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大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に「結城朝光(ゆうきともみつ)」という御家人が登場します。

演じるのは高橋侃さんで、ドラマの前半には一切出ていませんでしたが、ある事件のきっかけとなった重要人物です。

この結城朝光とは一体何者なのでしょう?

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結城朝光とはどんな人物?

結城朝光は、下野国(栃木県)出身の御家人で、「結城氏」の家祖となった人物です。

母の「寒河尼(さむかわのあま)」が源頼朝の乳母だったので、その引き合わせで頼朝に臣従します。

この時、結城朝光は12歳前後で、頼朝が烏帽子親となって元服を行います。

これが源頼朝が挙兵した1180年の出来事です。

その少し後、朝光は信頼を得たようで、頼朝の寝所の警備を任されます。

以降、木曽義仲の討伐、平氏討伐、奥州合戦など主要な戦には参戦しています。

なお、壇ノ浦の戦い後、源義経に「鎌倉入り不可」を告げたのはこの結城朝光だとされています。

源頼朝の落胤(認知されていない子供)との伝説もあり、結城氏の家伝によると、北条氏のために源頼朝と親子であるとの名乗りができず、代わりにあらゆることで優遇されたと言われます。

また、代々の結城氏の当主は、源頼朝の「朝」の字を通字(祖先から代々名前につける文字)としていました。

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梶原景時の変のきっかけに

源頼朝挙兵の頃からそばにいながら、結城朝光は今までドラマに一切出ていません。

頼朝が亡くなって、突然出演した理由は、結城朝光が「梶原景時の変」のきっかけに大きく関わっているからです。

「十三人の合議制」が成立してから約半年後、結城朝光は御所の侍所でこのような発言をしました。

忠臣は二君に仕えずというが、頼朝様が亡くなったときに出家するべきだった。

これは、第二代将軍源頼家と有力御家人の対立によって不祥事が続いていたことを嘆いての発言です。

この発言を知った梶原景時は、これを源頼家への誹謗であると捉え激怒。

将軍頼家に讒言します。

その事を北条時政の娘である阿波局(※ドラマでは実衣・演:宮澤エマさん)から聞いた朝光は驚き、三浦義村に相談します。

二人は和田義盛らの有力御家人に呼びかけを行い、「梶原景時を糾弾する連判状」を作りました。

当時、梶原景時に不満を持っていた御家人は多かったらしく、一夜にして66人もの御家人がこの連判状に署名しました。

これを将軍頼家に提出すると、頼家は連判状を景時に見せます。

この時、梶原景時は弁明もせず鎌倉を去りました。

(関連記事:梶原景時の変)

梶原景時が鎌倉を去ったことで、結城朝光は死罪を免れ、以降も御家人として鎌倉殿に仕えます。

承久の乱にも参戦し、評定衆の一員となり、鎌倉幕府を支えます。

晩年は「親鸞」「法然」など名のある僧と通じ、出家して信仰に生きる日々を送ります。

そして1254年、87歳で生涯を終えます。

ある時期から鎌倉幕府内の紛争には関与しておらず、穏やかな最期だったようです。

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