NHK大河ドラマ鎌倉殿の13人が話題となり、鎌倉時代や源平の合戦に注目が集まっています。
源平の合戦で一番有名な人物といえば、源義経ですが、彼の初陣はどのようなものだったのでしょうか?
源義経の初陣はどんな戦いだった?
源義経の初陣は「宇治川の戦い」と呼ばれる合戦だとされています。
宇治川の戦いは、源義経・源範頼の軍が、木曽義仲と戦った合戦です。
木曽義仲は本名を源義仲といい、源頼朝や源義経とは従兄弟にあたります。
平氏を都落ちさせた功労者でしたが、後白河法皇と折り合いが悪くなり、最終的に頼朝兄弟と敵対することになります。
頼朝は義経を自分の代理として京へ派遣。
木曽義仲を討つために大群を率いて出発します。
義経が近江あたりにさしかかった頃に、木曽義仲は後白河法皇を幽閉してしまいます。
義経は事態の急変を頼朝に報告。
これを受け、頼朝は源範頼(頼朝の弟、義経の兄:六男)を援軍として派遣します。
木曽義仲は瀬田に500人、宇治に300人の兵を置き、自身は100騎あまりを引き連れ御所を守ります。
これに対し、範頼は3万人で瀬田を、義経は2万5000人で宇治を攻めます。
それぞれの軍の兵数を見てもらうとおわかりのとおり、最初から勝負になっていません。
宇治川の戦いでは兵力差が圧倒的だったため、源義経が活躍したという話は伝わっていません。
普通に戦えば普通に勝てる戦でしたので、活躍する機会がなかったと言えそうです。
源義経の初陣というより木曽義仲の最期の戦いの印象
宇治川の戦いでは義経の活躍より、むしろ木曽義仲や巴御前の奮戦が伝えられています。
宇治の300人の守りを突破した2万人以上の義経軍は、そのまま京へなだれ込みます。
そこで義仲軍が出陣、戦闘となります。
しかし、義仲軍はわずか100騎。
宇治を守っていた兵よりもさらに少ない兵力で義経軍とぶつかります。
義経軍は義仲軍のおよそ200倍。
奮戦しますが覆せるような兵力差ではなく、瀬田で範頼軍と戦っていた「今井兼平」という武将の軍と合流します。
北陸へ逃れようとしますが、範頼の軍に追いつかれます。
わずか数騎になっても奮戦しますが、最後は馬の足が田んぼにとられ、動けなくなったところを矢で射抜かれます。
矢は顔面に刺さって木曽義仲は討ち死に、今井兼平はそれを見て自害。
義経・範頼の軍と義仲の戦いはこうして決着が着きました。
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