そういえば武田信義ってどうなったの?鎌倉殿の13人で八嶋智人が演じた甲斐源氏

武田信義 映画・ドラマ
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大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で八嶋智人さんが演じる「武田信義」という武将がいました。

平家討伐の際は、一時期、源頼朝のライバル的な立ち位置となっていました。

しかし、嫡男の「一条忠頼」が、木曽義仲の嫡男・源義高をそそのかしたとして暗殺された後、ドラマには出なくなりました。

あの後、武田信義は一体どうなったのでしょうか?

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武田信義のその後は?

まず、武田信義という人物を思い出して下さい。

この人です。

鎌倉殿の13人では、子の一条忠頼が暗殺された後、武田信義は怒りをぶつけてどこかへ行きました。

それっきり出番がありません。

武田信義は、もともと源頼朝と同格でしたが、木曽義仲、平家を討伐していくなかで頼朝と協力するようになります。

実は、木曽義仲討伐、一ノ谷の戦い、壇ノ浦の戦いなどの戦にも参加しています。

壇ノ浦の後、自身が武家の棟梁であることを認めさせるため、源頼朝は武田信義を鎌倉へ呼び出し、「子々孫々まで弓引くことはない(※子孫代々にいたるまで裏切りません)」という起請文を書かせます。

その後、武田信義の嫡男・一条忠頼が源頼朝の命により、宴席にて暗殺されます。

さらに頼朝は、武田の家臣について、親頼朝派を優遇、そうでないものには冷遇というあからさまな政策を採ります。

その結果として、かつて頼朝と同格であった甲斐源氏は、鎌倉幕府の御家人として頼朝の配下へ転じました。

そして、その棟梁、武田信義ですが、「吾妻鏡」によると、一条忠頼の死から約2年後、59歳で病没したとされています。

しかし、1190年の頼朝上洛や、1194年の東大寺造営の際に武田信義の名前が確認できることから、実際はもう少し長生きしたものと見られています。

ただ、一条忠頼の暗殺の後、歴史の表舞台から姿を消したことには違いありません。

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武田家初代

武田信義は「甲斐源氏」の4代目当主です。

源頼朝と祖先を同じくしています(河内源氏)。

この武田信義は武田家の初代当主でもあります。

甲斐で武田といえば、戦国時代最強と言われる「武田信玄」が有名ですが、彼は武田信義から数えて16世代後の子孫にあたります。

武田信義の活躍から約400年後、甲斐武田家は再び時代の主役に躍り出ることになります。

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