大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に「平知康(たいらのともやす)」という人物が登場します。
後白河法皇と一緒にいたと思ったら、いつの間にか鎌倉で源頼家に蹴鞠を教えているというよくわからない立ち位置の人物です。
彼は一体何者なのでしょう?
平知康とは?
平知康は、後白河法皇の近臣です。
ドラマでは矢柴俊博さんが演じています。
見た感じ公家っぽいですが、彼は「北面武士」という、れっきとした武士でした。
鼓が上手く、鼓判官と呼ばれていました。
このことで、木曽義仲からは「鼓判官のと呼ばれているのは、多くの人に打たれたからか?」と馬鹿にされ、後白河法皇に義仲討伐を進言したりもしています。
後白河法皇の側近
平知康はもともと北面武士でした。
北面武士とは、その名の通り院御所の北側を守る武士のことです。
詳しい経緯は不明ですが、後白河法皇に気に入られ、側近となっています。
特に「源(木曽)義仲」が入京した際は、後白河法皇の使いとして何度も義仲のもとを訪れています。
ですが、義仲が連れてきた兵達の乱暴狼藉をやめさせるように忠告すると、前述のようにからかわれ、対立する関係になってしまいます。
平知康は兵を集め、義仲に対して京から退去するように求めますが、逆に義仲にボコボコにやられます。
その結果、後白河法皇までもが幽閉されてしまいました。
責任を取らされ、知康は解任されてしまいます。
木曽義仲がいなくなった後、再び復帰して、当時京にいた「源義経」に接近します。
しかし、すぐに義経と兄・頼朝の関係が悪化。
そのゴタゴタに巻き込まれ、知康は再度解任。
その後、義経に接近したことを弁明しようと鎌倉へ向かいます。
源頼家の蹴鞠相手
京で解任された平知康は、弁明のために鎌倉を訪れました。
すると、何故かそこで源頼朝の嫡男で後に第2代将軍となる「源頼家」の蹴鞠相手として鎌倉で暮らすことになります。
そのうち源頼家の側近となりました。
ですが、特に目立った活躍や大きな動きをした形跡はなく、頼家が鎌倉から追放され幽閉されたときも平知康に対しては特に処罰が出ていません。
京に長い間いたこともあり、蹴鞠や作法・所作・儀礼での立ち振舞などを教える役目をしていたのかもしれません。
源頼家が鎌倉からいなくなった後、平知康は京へ帰ります。
その後どうなったのかについては、記録がないため不明です。
「後白河法皇」「源頼家」というそれぞれの時代の最高権力者の側近という立場でありながら、「権力争いとは全く無縁の武士」という、珍しいタイプの武士、平知康の紹介でした。
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