ソ連崩壊の理由と独立した国ーソ連がロシアになった理由をわかりやすく

ソビエト連邦 政治・経済
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旧ソビエト連邦の崩壊の理由と、そこから独立した国についてまとめています。

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ソ連崩壊の理由

ソビエト連邦の崩壊の理由は複雑で

ですが、まず、ソビエト連邦という国の成り立ちから見ると分かりやすいかも知れません。

ソビエト連邦の成り立ち

ソビエト連邦という国は、ロシア、アゼルバイジャン、白ロシア、グルジア、ウクライナなど15の共和国が条約を結んで成立した連邦国家です。

複数の国の併合で出来た一つの大きな国というわけではありません。

15の共和国が独立した国家のまま条約を結んで一つのグループになったのがソ連です。

そしてそのリーダーがロシアでした。

ただし、リーダーであるロシアの権力が強すぎたため、実際は中央集権の一つの国のような状態ではありました。

構成国が離脱→ソ連崩壊

実際はロシアの中央集権政治だったものの、もともとは別々の国が一つの共同体を作りましょうといって成立したのがソ連です。

そのため、その共同体自体にいる必要がなくなれば、集まった国も共同体を抜けることになります。

ソ連崩壊で起きたのは、まさにこれです。

つまり、「もともと別々の国が条約を結んでいたけど、その条約を続ける必要がなくなったから条約自体を解除した」ということです。

ソ連崩壊の原因となった出来事

とはいっても、条約を結んでいた国がそれを解除したのにはもちろん原因があります。

当時は、ヨーロッパ諸国の東側陣営の民主主義・資本主義化、アメリカとの冷戦の集結、ソ連政府への不満など、ソビエト連邦を継続する意義が低下し始めていました。

これに危機感をもったソビエト連邦の首脳陣は、新たな連邦条約を結ぼうと準備を進めます。

すると、この「新連邦条約」に反対する人たちによってクーデターが発生します。

クーデターは失敗に終わって首謀者は逮捕されますが、このクーデターを起こしたのは当時のソ連のリーダー、ソ連共産党のゴルバチョフ書記長の側近たちでした。

これにより、ゴルバチョフ書記長の信頼は地に落ちます。

やがてゴルバチョフ氏は共産党書記長を辞任、ソ連の政治を司ってきたソ連共産党は事実上の解体に追い込まれます。

連邦国家をまとめ上げてきた強力なリーダーがいなくなり、それぞれの国が独自に権力を持つようになりました。

1991年12月25日、ゴルバチョフ氏はソ連の大統領を辞任、翌26日に正式に「連邦」の解体が宣言され、ソビエト連邦は崩壊しました。

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ソ連から独立した国

ソ連から独立したのは次の国々です。

  1. ロシア
  2. ウクライナ
  3. ウズベキスタン
  4. カザフスタン
  5. ベラルーシ
  6. アゼルバイジャン
  7. ジョージア
  8. タジキスタン
  9. モルドバ
  10. キルギス
  11. リトアニア
  12. トルクメニスタン
  13. アルメニア
  14. ラトビア
  15. エストニア

なお、このうち「エストニア」、「ラトビア」、「リトアニア」はバルト三国と呼ばれ、ソ連崩壊前にすでにソ連を脱退していました。

現在この三国はNATO、EU、OECDに加入しています。

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ソ連がロシアになった理由

ソ連の継承国はロシアであるというイメージが強いため、ソ連という国がなんらかの変化をしてロシアになったと思われる方が多いのではないでしょうか?

ですが、上記の通りソ連からロシアになったというよりは、「ソ連からロシアに戻った」という方が近いです。

もともとロシアという国が、周辺の国と一緒にソビエト連邦を作り、そのリーダーをロシアがやっていた。

ソビエト連邦が崩壊したため、それぞれ別の独立国に戻った。

ロシアはソビエト連邦のリーダーだったため、ソ連の継承国と言われるようになった。

簡単に言うとこんな感じです。

この事を頭に入れておくと、旧ソ連の国々で起こっている問題が少しわかりやすくなるかも知れません。

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