畠山重忠の役職の留守所惣検校職(るすどころそうけんぎょうしき)と武蔵守の関係

惣検校職 映画・ドラマ
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大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で、坂東武者の鏡である畠山重忠がいわれなき謀反の罪で討伐されることになりました。

この背景には武蔵国を手に入れたい北条時政と武蔵国を実質的に率いていた畠山重忠の対立があります。

畠山重忠が就いていた「武蔵国の留守所惣検校職」とはどんな役職で、武蔵守(国司)との関係はどのようなものだったのでしょうか?

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留守所惣検校職(るすどころそうけんぎょうしき)とは?

留守所惣検校職(るすどころそうけんぎょうしき)とは、現地の役所を実質的に監督する役目のことです。

大化の改新以降、中央から派遣される「国司」がその国を支配していました。

しかし、平安時代の中期ごろになると、任命された国司が現地に着任しないことも多くなっていきます。

「国司は任命されているけどその国司が現地にいない」という状況が生まれます。

こういう場合、国司の代わりの人が現地を治めることになります。

その政庁には本来国を治める国司がいないため「留守所(るすどころ)」と呼ばれます。

そして現地でこの留守所の実質的な統括を行うのが「惣検校職(そうけんぎょうしき)」です。

「鎌倉殿の13人」の時代の武蔵国も留守所であり、その惣検校職の役目は畠山重忠が務めていました。

このころの武蔵国留守所惣検校職は、ただ事務を取りまとめるだけではなく、武蔵国内武士団の統率権や動員権を持っていたとされています。

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武蔵守と惣検校職の関係

この時代、中央から派遣される国司が国を治めていました。

つまり、その国で一番偉いのは国司であり、武蔵国であればその国司の長官である「武蔵守」が形式的にはトップです。

対して惣検校職は現地での実際の取りまとめ役です。

厳密にいうと少し違うかもしれませんが、「現場を知らない社長」と「実際に現場を仕切るリーダー」をイメージしてもらうとわかりやすいかもしれません。

「畠山重忠の乱」が起こる少し前、武蔵守には平賀朝雅が就任しており、京都守護となって上洛したあとは北条時政が武蔵の国務を代行していました。

重要な地である武蔵国を完全な形で手に入れたい北条時政は、畠山重忠の排除へ動きます。

【「現場を知らない社長」が自分の思うとおりに采配を振るおうとした結果、部下からの信頼の厚い「実際に現場を仕切るリーダー」が邪魔になり、そのリーダーを無理やりクビにしてしまった】

「畠山重忠の乱」を現代風にいうとこういうイメージです。

そして信頼の厚いリーダーをクビにした社長には、この後その因果が返ってくることになります。

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