大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でも取り上げられた「曽我兄弟の仇討ち」という有名な事件があります。
では、そもそもこの事件のきっかけとなった「工藤祐経」は曽我兄弟の父親に何をして恨みを買ったのでしょう?
「曽我兄弟の仇討ち」とは?
曽我兄弟の仇討ちとは、曽我祐成と曽我時致の兄弟が父の仇である工藤祐経を討った事件のことです。
「日本三大仇討ち」の一つに数えられ、戦前の教科書にも載るなど「仇討ちのお手本」ともいうべき事件です。
事件の概要は、別の記事で詳しく説明していますので、詳細をお知りになりたい方はこちらから御覧ください。
(関連記事:曽我兄弟の仇討とは?)
日本三大仇討ちについても詳細な記事がありますので、詳しくはこちらから。
(関連記事:日本三大仇討ちとは?)
曽我兄弟の仇討事件のきっかけ
曽我兄弟は工藤祐経を討ったことで「曽我兄弟の仇討ち」と呼ばれる伝説的な事件となりましたが、それではそもそもなぜ曽我兄弟は工藤祐経に恨みを持ったのでしょうか?
まず、仇討ち事件のきっかけとなったのは、工藤祐経が曽我兄弟の父である河津祐泰を暗殺したことがきっかけです。
河津祐泰は伊東祐親の長男です。
また、工藤祐経は伊東祐親の娘と結婚しています。
つまり、河津祐泰と工藤祐経は義理の兄弟です。
この「伊東家」の親族間で領地を巡る争いが起きました。
その結果として工藤祐経は河津祐泰を暗殺するに至ります。
工藤祐経と伊東一族の争いの概要
事件の概要はこうです。
まず、工藤祐経が伊豆国(静岡県)の「伊東荘」という領地を相続します。
伊東祐親はそのことに対して不満を抱いていました。
そこで、工藤祐経が京都へ行っている隙に、伊東荘を奪ってしまいます。
さらに工藤祐経に嫁がせていた娘を離縁させてしまいました。
留守中に領地と妻を奪われた工藤祐経は、伊東祐親の事を深く恨むようになります。
そこである時、部下に伊東祐親の暗殺を命じます。
伊東祐親が狩りに出ている最中、刺客が突然矢を射掛けました。
矢は伊東祐親には当たらず、祐親は暗殺を逃れました。
しかし、この狩りに一緒に来ていた河津祐泰に矢が当たり、それが原因で河津祐泰は亡くなります。
この時、河津祐泰の子で兄の十郎は5歳、弟の五郎は3歳でした。
2人の母親は「曽我祐信」という男と再婚し、兄の十郎が曽我祐成、弟の五郎が曽我時致となって、最終的に工藤祐経への仇討ちを果たすことになります。
日本三大仇討ちとして有名な「曽我兄弟の仇討ち」のきっかけは、伊東荘を巡る領土争いがスタートになっていました。
コメント