坂本龍馬が何をしたのか何故これほど人気があるのかの理由

侍 雑学
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11月15日は坂本龍馬の誕生日でもあり、命日となった日でもあります。

名前は誰もが知っており、日本一で一番有名な偉人と言っても過言ではない坂本龍馬ですが、彼が何故ここまで有名で人気が高いのかその理由を簡単に記しておきたいと思います。

学校の歴史の授業では出てこない彼の魅力を紹介していきたいと思います。

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薩長同盟

薩長同盟は江戸幕府を倒す原動力となった勢力です。

現在では当たり前のように「薩長同盟」という言葉がでてきていますが、当時の薩摩藩と長州藩は完全に敵同士でした。

薩摩藩は会津藩と並んで幕府側の主力、長州藩は統幕の急先鋒といった立ち位置でした。

長州藩にとって薩摩藩は政敵であり、禁門の変で大勢仲間を殺された憎き敵として認識されており、また、薩摩藩にとって長州藩は朝廷をも顧みない危険分子と認識されていました。

このように、完全に敵同士とも言える両藩を結びつけたのが、坂本龍馬と中岡慎太郎です。

彼らは薩摩と長州が手を結ぶよう、両藩の首脳陣である桂小五郎や西郷隆盛を説得し、仲介を試みます。

ですが、1度目の交渉は失敗しました。

西郷が交渉の場に現れず、薩長同盟は一度流れてしまいます。

西郷を下関に連れてくることができなかった中岡慎太郎は責任をとって切腹しようとしますが、坂本龍馬が思いとどまらせます。

西郷が何故交渉の場に現れなかったのか、理由を察した坂本龍馬は西郷と面談し、再度京都にて同盟の仲介を試みます。

両藩が話し合う機会を作った龍馬は、西郷・桂の人となりを知っていますので、あとは勝手に話が進むだろうと彼らにすべてを委ねます。

ですが、龍馬の思惑とは違って、西郷・桂の会談では藩の体面を気にして薩長同盟の話は一切出ず、そのまま両藩は何の成果も得られずに交渉を終えようとしていました。

そのことを知った龍馬は憤り、彼らの交渉場所へ出向きます。

そこで、この薩摩・長州による同盟が何故必要なのか、これによって日本という国がどうなるのかという道理を両藩の首脳陣相手に語ります。

それに納得し、心を動かされた西郷、桂をはじめとする薩摩・長州首脳陣は、ついに薩長同盟を結ぶことになります。

この薩長同盟が江戸幕府を倒す原動力となり、のちの明治政府の礎にもなりました。

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大政奉還

ごくごく簡単に言うと、大政奉還とは当時の江戸幕府が、朝廷(天皇)へ権力を返還したことを指します。

江戸幕府の最後の将軍、徳川慶喜が行ったとして中学や高校の歴史の教科書にも載っています。

この大政奉還を初めに提言したのが、坂本龍馬だと言われています。

彼は土佐藩の郷士(下級武士)であり、土佐の大名(お殿様)と直接会うことすらできない身分でした。

そこで坂本龍馬は、当時親交のあった土佐藩の家老、後藤象二郎に大政奉還を提言します。

詳しくは割愛しますが、当時の土佐藩にとって、大政奉還の策を将軍慶喜公に提言することは、最善の策ともいえる方法でした。

龍馬からこの話を聞いた象二郎は、喜んで土佐藩前藩主である山内容堂に大政奉還を提言し、容堂もすぐさま徳川慶喜にこれを報告しました。

徳川慶喜はこれを取り入れ、約250年続いた江戸幕府はこれによって終わりを迎えることとなります。

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日本を救った人物

以上のことから、坂本龍馬は「薩長同盟を締結」させ、将軍に「大政奉還」をさせた人物であるということができます。

歴史の教科書でこういうふうに習ったかもしれませんが、本当にすごいところはこの説明だけでは見えてきません。

というのは、当時、幕府はフランスの力を借りて長州などの反乱分子を抑え込もうとしていました。

対する薩摩・長州は薩英戦争がきっかけとなって仲良くなったイギリスの支援を受けていました。

この状態は、他の国々が欧米列強の植民地に下ったときと似た構図です。

つまり、幕府と薩摩・長州が戦い、幕府が勝てばフランス、薩長が勝てばイギリス、どちらにせよ日本は欧米列強の植民地となることがほぼ決まっていました。

その状態で日本が植民地にならなくて済む恐らく唯一の方法が大政奉還でした。

幕府VS薩摩・長州の全面戦争が始まれば、どちらも確実に疲弊します。

どちらが勝ったとしても、支援を受けたフランスもしくはイギリスには逆らえない状態になってしまいまsう。

幕府が勝てばフランス、薩長が勝てばイギリス、どちらが勝っても日本はどちらかの植民地になるしかないという状態から、「どちらも勝たず、どちらも負けず、日本を1つにまとめて外国に対処する」という状態に持っていった策が、この大政奉還です。

日本が外国の植民地になる寸前で、植民地にならなくてすむ奇跡に近い作戦を実現させたのが坂本龍馬という人物です。

彼の行動を見てみると、一貫して日本を外国の脅威から守るという信条が見られ、しかもそれがぶれない行動をし続けています。

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龍馬の手紙

ところで、坂本龍馬は主に姉、乙女姉さんに対してよく手紙を送っています。

坂本龍馬の名言である「今一度日本を洗濯いたし申し候」、「何の浮世は三文五厘よ」などという言葉はこの乙女姉さん宛の手紙に書かれています。

その他にも、「本文より追伸の方が長い手紙」や、「「今日は時間がないから手短に済ませます」から始まる確認されている中で最も長い手紙」など、博物館で見ているにも関わらず笑ってしまうような手紙がたくさん残されています。

そして、字がどう見ても汚いです。

あの日本を救った偉人がこんなにおもしろい手紙をこんなに汚い字で書くのかと思うと、親近感すら湧いてきます。

高知県の坂本龍馬記念館というところに坂本龍馬の手紙がたくさんあるので、興味がある人は足を運んでみて下さい。

日本を救うという前代未聞の大事業を成し遂げながら、どこか抜けていて親近感すらある。

そんな人物であるからこそ、坂本龍馬は今なお多くの人に愛されているのでしょう。

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