現在は世界でもトッププレーヤーとなった大谷翔平選手ですが、高校時代はどうだったのでしょうか?
あまり甲子園で活躍したイメージがないためか、「甲子園に出ていない」とも勘違いされることがあります。
実際の記録はどうだったのでしょう?
目次
大谷翔平選手の甲子園出場回数と成績
大谷翔平選手が甲子園に出場したのは全部で2回です。
2年生の時の夏の甲子園大会(第93回大会)と、3年生(直前)の選抜大会(第84回選抜大会)の合計2度の出場です。
大谷翔平選手が所属していた花巻東高校は、2年生夏の大会で帝京高校、3年生春の選抜大会は大阪桐蔭高校とそれぞれ1回戦で対戦し、ともに敗れています。
意外かもしれませんが、大谷翔平選手が甲子園で戦ったのは、たった2試合のみということになります。
大谷翔平選手の甲子園出場記録と成績
ではその2試合の大谷選手の出場記録と成績を見てみましょう。
2年夏(第93回夏大会)
この頃、大谷選手はケガを負っていたため、ピッチャーではなくライトの守備位置で先発出場します。
ですが、4回途中から登板し、150km/hの球速を記録します。
これは、当時の甲子園での2年生の最速記録でした。
しかし、試合は7-8で帝京高校に敗北。
この試合ではホームランもありませんでした。
3年春(第84回選抜大会)
大谷選手は1回戦の大阪桐蔭高校戦で、ピッチャーとして先発出場します。
5回までは2安打無失点・6奪三振の好投をみせますが、その後は調子が乱れてしまいます。
最終的に11個の四死球を出し、9失点(自責点は5)。
試合も9-2で敗れてしまいました。
なお、大谷選手はこの試合で大阪桐蔭高校のエース・藤浪晋太郎投手(現・オリオールズ)から大会第2号となるホームランを放っています。
大谷翔平選手が甲子園に出ていないと勘違いされているのはなぜか?
大谷選手が甲子園に出ていないと勘違いされているのは、甲子園ではそれほど目立った活躍をしなかったからだと思われます。
大谷選手の甲子園出場は春夏通じて合計2回。
この両方ともで大谷選手は本調子でなかったうえ、対戦相手が1回戦から「帝京高校」「大阪桐蔭高校」とくじ運にも恵まれなかった印象です。
そうして、どちらも1回戦で敗れていますので、甲子園で活躍した印象が少ないのだと思われます。
甲子園通算成績は投手として14回を投げ防御率3.77、打率は3.33でホームランは1本です。
また、岩手県大会で160km/hの球速をマークし、最も注目されていた高校3年生の夏に甲子園に出られなかったため、その時の印象が強いのも原因の1つかもしれません。
大谷翔平選手はなぜ甲子園に行けなかったのか?
3年生最後の大会では、準決勝でアマチュア最速の160km/hを出してコールド勝ちし、大きな注目を集めたものの、続く決勝戦で敗れ、惜しくも甲子園出場を逃しました。
決勝戦は盛岡大付属高校との対戦でした。
この試合にも大谷選手は登板。
15個もの三振を奪いますが、「不運な判定」として当時物議を醸したポール際ギリギリへの3ランホームランを含め、最終的に5失点。
5-3で敗れ、高校最後の夏の甲子園出場は果たせませんでした。
まとめ
- 大谷選手の甲子園出場は、2年生の夏、3年生の春の合計2回
- 甲子園通算成績は、防御率3.77、打率3.33、本塁打1
- 高校最後の岩手県大会では160km/hを記録するも決勝で惜しくも敗れて甲子園出場ならず
大谷選手の甲子園関連の情報をまとめるとこんな感じです。
今の大谷選手の活躍からみたら、甲子園でこの成績はかなり意外かもしれません。
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