大泉洋はいつからなぜ売れた?水曜どうでしょう以外のブレイク番組

大泉洋 芸能
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今や大人気の大泉洋さんですが、そういえば彼はいつから全国区の俳優になったのでしょう?

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大泉洋はいつから全国区になるまで売れた?

大泉洋さんはもともと地元北海道で芸能活動をしていました。

大学在学中、北海道の深夜バラエティ番組「モザイクな夜V3」ですすきのレポーター「元気くん」としてデビューします。

この番組は、低俗番組であるとの声が多い番組ですが、そこでのトーク力が買われて、活動を広げていくことになります。

翌年には映画「ガメラ2」でスクリーンデビュー。

このときは「逃げる地下鉄の乗客役」で、スタッフのミスのためエンドロールには名前が載っていません。

このあたり、すでに大泉洋さんらしいです。

その後、有名な「水曜どうでしょう」がスタート。

この番組が人気となり、北海道のローカル番組にも関わらず、全国に番組販売が行われ、大泉さんは全国的に知名度を上げていくことになります。

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大泉洋の全国デビューは?

北海道で放送されていた番組で音楽ユニット「PUFFY」にインタビューをしたことがきっかけで、1999年、テレビ朝日のバラエティ番組「パパパパパフィー」に出演します。

これが大泉さんの全国放送デビューとなります。

本格的に東京へ進出したのは2004年、大泉さんが31歳のときのことです。

(「水曜どうでしょう」は2002年にレギュラー放送を終了していました。)

2005年、フジテレビの連続ドラマ「救命病棟24時」で全国区のドラマ初出演を果たします。

2007年には「ハケンの品格」で準主役の扱いを受け、さらに人気が上がっていくことになります。

2011年、映画「探偵はBARにいる」で日本アカデミー賞優秀主演男優賞を受賞。

さらに6年後に公開された「探偵はBARにいる3」でも再び日本アカデミー賞優秀主演男優賞を受賞するなど実力派俳優としての地位を確立していきます。

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水曜どうでしょう以外のブレイク番組

大泉洋さんが全国的な人気を博したのは、「水曜どうでしょう」が全国で放送されたことの他に、「パパパパパフィー」への出演が大きなきっかけになったと言えそうです。

この番組は、大泉洋さんの他にもユースケ・サンタマリアさん、及川光博さんらが全国区の人気を得るきっかけとなりました。

大泉さんは、パパパパパフィー初出演の際、ゲストには安室奈美恵さんや郷ひろみさんがいるなか、ジャージ姿で司会を担当しました。

観客から悪口を言われて落ち込んだと後に語っています。

このときはまだ東京進出は考えていなかったそうですが、番組出演により全国的に名前が売れたことは間違いありません。

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もともとテレビ出演はアルバイトだった

大泉さんは大学で「高校の地理・歴史の教員免許」を取得しています。

大学卒業後は高校の先生になる予定でした。

テレビに出たのは「思い出作りとアルバイト」だったといいます。

最初にテレビに出たのは大学一年生の頃、一般人としてニュース番組のインタビューを受けたときのことです。

このとき、大泉さんは「インタビューされるまでTVスタッフの前をうろつく」という持久作戦を実施、テレビ出演を果たしています。

ドラマ初出演は北海道テレビの「TV局物語 今にみてろ」という番組で、「オーディションでつまらない芸をする素人」の役でエキストラとして出演しました。

この番組で、本来はテレビディレクター役をしらけさせるシーンに出演したはずの大泉さん。

全力で芸を披露し、ディレクター役を笑わせてしまします。

このことで「バラエティ番組に出演するための自信がついた」と後に大泉さんは語っています。

独特の感性と演技力を持つ大泉洋さん。

今後の活動にも注目です。

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